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Diary

ただ平和を祈り、誓う2017年08月15日

◆晴れ。気温が上がった。
◆ここ何日が涼しかったし夜になるとすっかり風も冷たくなっているので、もう北海道の夏は終ってしまったんじゃないかと思っていたら、今日は八月十五日だった。確かに、もうそんな時期だった。
◆日本は二度と戦争を起こしてはならない。それはもうあたりまえだ。日本でなくても、世界はもう二度と戦争を起こしていけないんだ(けれど、戦争はなくなっていない)。そして日本は、愚かな戦争を起こし、原爆を落とされて敗戦国となり、そこから非戦のまま先進国へと復興を遂げた国として、〈平和〉というものを世界へ示す国でならなくてはならない。いや、世界中を平和へと導かなきゃ、人類の歴史上どんな英雄も成し遂げていない〈世界恒久平和〉を実現しなければいけない国のはずだった。
◆今の日本は、ほんの二十年前よりも経済力も国力も衰えてしまった。様々な社会問題も蔓延したまま解決の糸口さえ見つかっていない。そもそも問題のない時期なんて終戦後なかったはずだ。ただひたすらに経済発展を考えバブルが弾けた後も立て直そうと踠いていただけだ。
◆広告屋的に考えれば(もう古臭い考え方だろうけど)コンセプトもくそもなかった。いや、それらしきものはあり今も存在しているんだけど、そこに眼を向けることは愚かな時代のことを思い出させかねないのであえてそらしてきた。
◆今の日本には、ジェネラリストがいない。スペシャリストは数多くいても、そして彼らが今までの日本という国をずっと支えてきたとしても、コンセプトをしっかりと見据え決してブレることなくマネージメントできる人材が、ジェネラリストがいなくなってしまったんだと思う。いや、そもそも育てようともしてこなかったし、そういう人材は本当に歴史の中の天の配剤でしか生まれないのかもしれない。
◆まぁ話が長くなってしまうしもっと突っ込んで話すとキナ臭くもなってくる。いつものように、単純な話にしておこう。ヒーローが必要なんだ。
◆終戦の日に、ただ平和を祈り、誓う。それだけでは無力なことはわかってはいても、願う。

正義は勝つ、のか2017年08月06日

◆晴れ。暑かったね。でも夜は涼しい北海道。
◆僕は生粋のAppleのノートブック(時代によって名前は変わるが今はMacBook)使いだ。かれこれ30年ぐらいずっと。でも、実はノートブックのトラックパッドは使わないでマウスを使っている。元は広告制作会社だったのでその頃はグラフィックデザインをやることも多くて、そうなるとマウスじゃないと仕事にならなかったから。で、今使っているマウスが挙動不審なので買い替えようとしてるんだけど、マウスのことを考える度に「このマウスというネーミングは絶妙だよなぁ」と感心するという話。
◆閑話休題。写真は名作映画『アンタッチャブル』の30周年記念Blu-ray。いやもうこれ30年も経ったのかぁ、と。アメリカの禁酒法時代、ギャングのアル・カポネに敢然と立ち向かったエリオット・ネス率いる〈アンタッチャブル〉。史実を踏まえてハリウッド流にエンターテインメント映画にするとかくも血湧き肉躍るサスペンス・ギャング・アクション映画の名作になるという見本のような作品。監督は名匠ブライアン・デ・パルマだ。ネタバレになるから言わないけど、ラストシーンが本当に僕は大好きだ。
◆実は警官ではないエリオット・ネス。財務省の酒類取締官というお役人。酒の密造販売でギャングと癒着する警察組織に少数精鋭で敢然と立ち向かうまさしく〈正義の味方〉であり、史実においても(実はネスの集めた証拠はほとんど裁判では使われなかったという話もあるらしいが)ネスたちの活躍を踏まえてギャングの、悪党の大立者だったアル・カポネが逮捕されたのは事実。つまり、正義は勝ったのだ。現実においてはネスのその後の人生は中々に浮き沈みが激しく、そもそも映画のような活躍はあくまでもネスの自伝によるもので作り話が多かったらしいが、それでも禁酒法を破っていた悪党であるアル・カポネの逮捕は事実。
◆でも、そもそもの〈禁酒法〉自体がとんでもないザル法であり悪法であり、それがギャングたちの隆盛を支えてしまった部分がほとんどだった(と、聞く)。
◆悪法でザル法であろうと法は法。執行者であるネスはそれに従い取締をしなきゃならない。実際のネスは本当に心底、正義漢だったらしい。
◆正義とは何か。法とは何か。歴史はその答えを教えてくれているのに、人類はちっとも自らの歴史に学ばない。いや、学ぼうとしない馬鹿が多すぎるのか。

お盆のある国2017年08月03日

◆晴れ。暑いけどカラッとして風のある過ごしやすい日。
◆夏の蚊取り線香は金鳥である。それも渦巻きを蚊遣り豚で焚いていただきたい。などと毎年の夏にここで書いているけれども、そんなことをし出したのも結婚して子供が出来てしばらくしてからだ。若い頃にそんなことは考えなかった。蚊取り線香だって必要なら電子蚊取りを使っただろうし、蚊取り線香を焚こうなんて考えもしなかった。お盆もそうだ。墓参りをしようなんて殊勝な事を考え出したのも、結婚して妻に言われてからだ。
◆そもそも北海道は移民の国だ。日本全国あちこちから屯田兵やら犯罪者やら駆け落ち者が集まってその連中で出来上がっていった土地なので、〈昔からの固有の風習〉などない。断言してもいいが、ない。そもそも〈昔〉がないのだから。たかだか140年ぐらいの歴史しかないのだ。だから、お盆の風習とかもその人の家庭の遠い故郷(出身県)や宗派の風習などが入り交じることになって、統一などされていない。小説や映画やマンガなどで目にする精霊馬(キュウリやナスビですね)の風習も我が家にはない。精霊流しや灯籠流しや爆竹もないし花火もない。少なくとも僕が生まれ育った旭川ではお盆は静かに墓参りをして線香立ててお供えして拝んで終わり。実にシンプルだ(もちろん、北海道の他の地方でそして各家庭でいろいろ違いはあるだろうけど)。シンプルになっていったのも、結婚してあちこちの風習が入り交じったら面倒だからと簡便なものになっていった節もある。実際、よく知られていることだけど、結婚式の披露宴は会費制だしね。今は全員一律1万円ぐらいだろうか。それで料理も出るし引き出物も出る。お葬式のお香典にも領収書が出る土地柄だ。言葉だって、北海道弁というものも厳密にはない。これもやっぱり開拓期に方言が入り交じると面倒だからと共通語をベースにしていったという説もある。
◆だからなのか、特にお盆の時期には日本の北海道以外の各地に伝わるそれぞれの地の古い風習が羨ましくなることもある。風情があっていいなぁ、と。

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