SHOJI YUKIYA OFFICIAL SITE sakka-run:booklover’s longdiary since 1996.12.18

Diary

大人である僕たちは新たな公害にどう立ち向かわなきゃならないのか2017年06月30日

◆爽やかなカラッとした風に快晴という実に北海道らしい一日。
◆未来が来ちまっているよなぁと時々思う。20歳の頃の僕の一日は朝起きたらまずシャワーを浴びてレコードをプレーヤーにセットするかあるいはカセットデッキにカセットを入れてスピーカーから音楽を流してコーヒーを落として、そしてバイトに地下鉄で出かけた。バイト先の休憩室で煙草を吹かしながら新聞を読んで昨日どんなニュースがあったのかを知った。どんなに大きな事故や事件が起こってもバイト中はずっとカセットで音楽を流しているから、やってきた常連さんが「ねぇねぇテレビのニュースでさ」と教えてくれないとまるで知らずに過ごす。家に帰ってもテレビは音楽番組か映画ぐらいしか観なかったし、ラジオは深夜番組ぐらいしか聴かなかった。友達が僕に連絡したくても、僕が電話のある自分の部屋かバイト先にいなかったらまるで連絡が取れなかった。飲み歩いたり友達の家に泊まったりしたら急用があっても丸一日下手したら二日ぐらい連絡がつかなかったりもした。
◆それが、36年経った今は、起きた瞬間から世界中の出来事が目の前のパソコンでもしくはポケットの中のスマホで、音楽を聴きながらでも映画を観ながらでもリアルタイムで入ってくる。連絡はいつでもどこでもどんな方法でもつけようと思えば、つく。下手したらGPSで僕がどこにいるかさえもわかってしまう。何だったら遠くにいる老いた母の部屋にカメラを設置すればスマホでいつでも様子を確認できたりする。これを〈未来が来てる〉と言わないで何を言うのかって話だ。
◆でも、人間は一ミリも未来人になってたりしない。20歳の頃、汚職や自己保身にばかり走っていた政治家がたくさん山ほどいたけど、今もそのまんまじゃないか。何ひとつ良くなっていない。むしろ精神的に逆行もしくは退化してんるじゃないかってぐらいの話だ。芸能人のスキャンダルばかり大袈裟に騒いでいたマスコミもそのままだ。むしろ一般人がネットのせいで一億総マスコミ化(変な言葉だけど)しちゃっている。
◆僕らが子供の頃、便利さと豊かさを追求したら公害が生まれた。僕らは〈公害の世代の子〉だ。それと同じだ。未来になった分、別の意味での、色んな意味での、新しい公害が生まれてしまってるように思う。結局、進歩っていうのはそういうことなんだろう。
◆でも、僕らが子供の頃の大人たちは必死になって公害をなくそうとした。頑張った。その結果、甦った青空や青い海や清流や緑がある(もちろん、消えたものも、そのままのものもあるけど)。じゃあ、今、大人である僕たちは新たな公害にどう立ち向かわなきゃならないのか。
◆僕は、書く。希望の物語を。

僕たちは改札口への階段を駆け上がるために同じ方向へ歩き始めた2017年06月23日

◆曇り後晴れ。気温も上がった日。でもまた明日は雨だとか。
◆噺家は世間のあらで飯を食い、ってな言葉がありますが小説家も似たようなもので大概は自分の生きてきた人生を切り売りしてるようなもの。もちろん事実をそのまま書いちゃあさっぱり自分が浮かばれないしノンフィクションになっちまうので、そこを幹にして、あるいは枝葉にして、嘘と体験をうまいことごっちゃにしていくのが小説。虚実皮膜っていう言葉もあるけれど、要するにそういうもの。
◆よく昔のことを思い出す。書いている最中に、自分の体験がふっと浮かんできてそれを物語の中に溶け込ませることで、気持ち的にも内容的にも〈物語内リアリティ〉というものが生まれてくる。そういうのが上手くいくと、満足できるシーンができあがっていく。
◆今まで書いてきたものの中に、女性との出来事で体験を元にしたものがあるか、と訊かれると、ありますと答える。どの物語のどの場面とは言えないけど、その女性が読んだら「あ、これは私と小路くんのことだ」と思う場面はある。そういう女性たちとは現在まったく交流はない。許可も取っていない。なので、「勝手に書いて!」と怒っているかもしれない。申し訳ないって謝るしかないのだけど、できれば苦笑いで許してくれたらいいなと思っている。
◆そうやって思い返すと、自分の人生はわりと平凡だと思っていたんだけど、意外とそうでもなくてまるでドラマのワンシーンのような、文字通りドラマチックなシーンというのはけっこうたくさんあった。たまにネタにしてるんだけど、〈リアル〈ルージュの伝言〉〉をされたこともある(これも書いたら怒られるかなーと思っているんだけど)。
◆いつか書いてみたいシーンがある。地下鉄のホームの向こうとこっちに、僕と彼女は立っていた。そのほんの何十秒か前に改札口のところで「じゃあね」と手を振って別れたのだから、お互いの姿を確認しあっていた。最初に僕のホームに電車が入ってくるのがわかったので、彼女は僕に手を振った。僕が振り返している最中に電車が滑り込んできてお互いの姿が見えなくなった。でも、僕は乗らなかった。走り去った地下鉄のホームにまだ僕が立っているのに、彼女はちょっと驚いた顔をした。その瞬間に彼女のいるホームにも電車が滑り込んできて、そして電車が走り去ったけど、彼女もまだホームに立っていた。お互いに笑みを交わして、僕たちは改札口への階段を駆け上がるために同じ方向へ歩き始めた。
◆そういうようなシーンが、これから書く小説に出てきたら「あ、これは小路さんの体験談か」と思ってくださいヽ( ´ー`)ノ

マンガのキャラクターとしての小路幸也はこんな感じ2017年06月22日

◆冷たい雨が降っていた一日。明日からは晴れるかな。
◆自分の顔、っていうのはなかなか客観視できないものだと思う。毎日毎朝鏡で自分の顔を見てはいるものの、他人から見てどんなふうに思われているのかっていうのは、わかんないよね。
◆小さいころから声には自信があった。何故かはわからないけど、「幸也ちゃんは良い声をしてるわねぇ」と皆に言われ続けてきたのだ。なので、その気になって小学校・中学校では放送部に入ってアナウンサーをやっていた。そこでも「良い声だねぇ」と言われ続けた。作家になってインタビューやら、ラジオに出たこともあるけれど、そこでも皆さんに褒められているので、自慢になってしまうが良い声をしてるんだろう(声変りはしたけれども、ほとんどイメージは変わらなかったみたいだ)。
◆しかし顔は、まぁ普通だ。今まで生きてきたどの時代の基準に照らしても決して良い男ではない。嫌悪感を抱かれない程度には普通だと思っているが、どっちかと言えば悪人顔だ。今回、機会があって人気マンガ家の〈うめ〉さんに似顔絵を描いてもらえることになって、それが写真のものだ。本人そっくりにではなく、あくまでも〈うめ〉さんのマンガに出てきそうなキャラクターに少し寄せた〈小路幸也〉として。だから、実物よりは70%増しぐらいでいい男にはなっているのではないかと思う。そして、あぁ僕は人様にはこんなふうに見られているんだなぁというのがよくわかって、とてもおもしろかった(うめさんありがとう!)。
◆人は心だ、というのは本当で、決して見かけではない。でも、人間は視覚の動物だから見た印象で決まってしまうものがある。だから、50半ばを過ぎて今更モテようなんて気はさらさらないが、写真を撮られて人前に出ることも多い商売なので、人様に不快感を与えないように、きちんとした男に見られるように努力はしている。そしてそれはとても大事なことだと思っている。
◆背筋を伸ばす、きちんと歩く、しっかりと座る、素直に笑う、人とちゃんと向き合う。そして、相手の話を聞いて、自分の話も聞いてもらう。お互いにそうしようと努力するだけで、毎日の暮らしは良くなっていくものだと思う。
◆ま、一人で部屋にいるときはだらーっとするのがいいけどねヽ( ´ー`)ノ

『キイハンター』よ永遠に2017年06月15日

◆冷たい雨が降っていた。
◆6月なんだから北海道はいい気候のはずなのにどうもスカッとしない。蝦夷梅雨は昔からあるんだけど、どうもこの10年ほどは蝦夷梅雨が長くなったり深くなったりしているような気がする。これも地球の気候の変化なのか。
◆女優、野際陽子さんが亡くなられた。ずっと第一線で活躍されていたから老若男女知らない人はいないと言っても過言じゃないだろう。80を越えてなおあの凛とした姿は理想とするべきものだったんじゃないかと思う。僕の中では、とにかく『キイハンター』だ。調べてみると1968年〜1973年だ。僕は7歳から12歳の小学生。国際秘密警察だ。諜報部員だ。世界をまたにかけて犯罪を追い悪党を追いつめる彼らの活躍に胸躍らせない男の子なんかいなかった。とにかくクラスの男の子全員が観ていたと思う。野際陽子さんは元はフランスの諜報部員という役で、美人でオシャレでセンスがあって何カ国語も操ってその上強いという無敵の女スパイだった。啓子さん(役名)は絶対に風間くん(役名・千葉真一)と結婚するんだと思っていたら現実でも本当に結婚してしまって驚いたことをよく覚えている。
◆『キイハンター』には重厚な刑事ドラマも小粋なスタイリッシュドラマも洒落たコメディも季節もののホラーも手に汗握るサスペンスも豪快なアクションドラマもとにかく何もかもが詰まっていた。この番組で描かれなかったタイプのドラマなどないぐらいだ。その全てを写真の五人が楽しませてくれた。今の僕のベースに間違いなく『キイハンター』がある。そしてそこに、カッコよくて強くて美しい女スパイの野際陽子さんがいた。
◆ずっと忘れません。ありがとうございました。

私も今日まで生きてきました2017年06月12日

◆晴れ。でも風が冷たかったので窓は開けられなかった。
◆ここのところずっと日記の更新が止まっているけれど、もちろん書くようなネタもないのだけど執筆の方がなかなか進まないので日記を書くことも躊躇ってしまうのだ。日記書いている間に小説を書けよと自分で思ってしまう。
◆僕は本当にしょうもない男なので、総体的にエネルギーの量が少ない。若い頃はまだそれなりに頑張れたから、仕事をして友達と遊んで恋人と過ごしてとあちこちにエネルギーを使えたし、家族を持ってからは責任を果たすために男であることと夫であることと父であることと社会人であることをエネルギーを振り分け生きてきた。けれどもやっぱりろくでなしには無理があって僕は真っ当な社会人であることを捨てて小説家の道を選んだ。子育ても終わり、今は小説家として生き続けることに専念できている(もちろん夫であることと父であることを捨てたわけではなく妻と子供たちの多大なる理解の元に)。
◆残り少ないエネルギーを物語を書くことだけに費やしたい。ひどいニュースが流れる度に今の政治がどうこうと考え出すとそっちにエネルギーを吸い取られてしまう。だからニュースについて考えたくない。感情をぶつけたくない。その分のエネルギーがもったいない。目を伏せることはしないでしっかりと見据えながらも、自分のするべきことは書くことだけだと決めてその道へと歩を進める。
◆我儘なのだ。ただひたすら我儘なのだ。その我儘な男が書いた物語を楽しんでくれる人たちがいることに勇気づけられてそうやって日々を過ごしている。今日も明日もそして明後日も。たぶんずっと。
◆もしも、僕が生きているうちに国家が、自由に音楽を小説を映画をマンガを作ることを禁じたりしたら、そのときは僕は国家を撃つだろう。

ページトップへ