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Diary

男と女の間には2016年01月30日

◆晴れ。夜になってかなり冷える。lemon
◆強いてその話題に触れる気もなかった。そう、ベッキーさんのこと。そもそも男の女の間のことなんざぁ刃傷沙汰にでもならない限り周りがどうこう言うもんじゃねぇだろう、ってな考えが僕の中にはある。あくまでも単なる色恋沙汰に関しては、だ。これにどちらかの子供が絡んでくるような事態なら言いたいことは山ほど出てくるが。こう言うと騒ぎ立てる人もいるだろうから言っておくけど、別に不倫を推奨しているわけじゃない。浮気は男の甲斐性だ、などと前時代的なことを言う気もない。ただひたすら「放っておけよそんなもの当人同士でケリつけさせれよ大人なんだから」と、思ってるわけだ。
◆人気芸能人だからって聖人君子にならなきゃダメってこともない。そもそもミュージシャンなんて連中は基本ろくでなしばっかりだ。あくまでも僕がアマチュアミュージシャンだった頃の経験談でしかないけど、本当に、女に関してはだらしがないしろくでもない奴がわんさかいた(ま、僕もそうだったわけだがヽ( ´ー`)ノ)。見本にはなっても手本になるような人間はいないような気もする(もちろんちゃんとしていて、才能溢れるミュージシャンの方もいらっしゃるでしょうが)。繰り返すけどだから何やってもいい、って言ってるわけじゃないよ? 当人同士でケリつければそれでいい話だって言ってるんだからね。
◆思えば、若い頃には周りでこんな男と女の話が山ほどあったなぁと思う。今まで書いた作品の中にもちょこちょこ小出しにしているけど、とても出せないような話もたくさんあった。あれとかあれとかあれとか。そのうちに書く日が来るだろうか。
◆ま、いちばんどうしようもないのはこういうことをマスコミにリークしたりする連中だけどね。
◆写真は何の関係もないけど、装幀に魅かれて購入した本。『レモン畑の吸血鬼』(河出書房新社)。いいなぁこれ。好きだなぁ。

サチさんの語り口2016年01月27日

◆晴れたり曇ったり。sawamura
◆話し方、というのはとても大事だと思う。それひとつで人間はがらりと印象が変わってしまう。小説で言えば語り口、だろう。三人称と一人称というものがあるんだけど、僕の小説はほとんど一人称で書かれている。三人称で書いたものは短編一本か二本ぐらいしかない。理由はまぁいろいろあるんだけど、大きなものは、それが自分に合っているんだなと感じたからだ。いつか三人称、つまり神の視点で書くだろうとは思うけど、あ、書いたんだった。三月に出る『恭一郎と七人の叔母』(徳間書店)は初めて三人称で書いた長編になる(乞うご期待!)。
◆〈東亰バンドワゴンシリーズ〉が皆さんに広く受けいられてもらったのは、サチさんの語り口によるところも大きいんじゃないかと思う。華族の娘として生まれ、二十歳のときに下町の古本屋の勘一の嫁になり、それからずっと江戸っ子のべらんめぇ口調の勘一の妻として生きてきたサチさん。彼女の語り口が自然と僕の中から出てきたものだけど、本にする際に最終的に参考にしたのは、女優の〈沢村貞子〉さんの語り口だ。たぶん、僕ぐらいの年齢じゃないとリアルタイムで沢村さんの演技は観ていないだろう。
◆沢村さんは浅草で生まれ育った生粋の下町っ子だ。父親は狂言作者で兄は歌舞伎役者、弟は映画俳優とまさに芸能一家だ。その語り方は、まさしくサチさんだ。もし沢村さんの『わたしのおせっかい談義』という本を古本屋で見かけたらぜひ手に入れて読んでほしい(写真もそれにしようと思ったけどちょっとネットでいいものが見つからなかった)。沢村さんの講演をまとめたその本を読むと「あっ、サチさんだ」と思うはず。いや、サチさんよりもう少し沢村さんは下町口調で、ざっかけなく、ざっくばらんに話している。ここに華族のお嬢様のエッセンスを加えればまさしくサチさんだ。
◆僕の中からサチさんの語り口が何も考えずに自然に出てきたのは、やはり昔の映画やテレビドラマで女優さんたちの語り口を聞いていたからだろうと思う。沢村貞子さんもそうだけど、杉村春子さんや、若尾文子さん、加藤治子さん、八千草薫さんなどなど、上品にも、ざっくばらんでも、自在にあの時代を生きてきた女性を演じてくれた女優さんがいたからこそだ。感謝しています。
◆相手のことを思って、きちんと話す。そして、聞く。それだけで、コミュニケーションは円滑になる。

雑誌についてのお話2016年01月23日

◆晴れ。穏やかな天候。kuneru
◆〈ku:nel〉という雑誌がある。日本語表記は〈クウネル〉だ。創刊したのは12、3年前だったと思う。〈ストーリーのあるモノと暮らし〉というキャッチコピーが意図するのは、〈ささやかな暮らしの中にもストーリーがあり、そこで使われているモノや考え方を大事にしていきます〉ということだったと理解している。とにかくアートディレクションが素晴らしかった。どなただったかは失念したけど、広告制作の世界に身を置いた者としてただもう「上手いなぁ。絶妙なセンスだなぁ」と唸りっぱなしだった。たとえば日本の田舎のおばあちゃんの作るまんじゅうを紹介するにしても、写真と取材文とレイアウトが絶妙の〈やさしさ〉だった。一ミリズレても〈ダサい〉か〈クサイ〉になってしまうところを〈誠実なお洒落〉に落とし込んでいた。気になった特集のバックナンバーは今も本棚に置いてある。もしも〈雑誌博物館〉を作ったら間違いなく〈ある時代に輝きを放った雑誌〉として重要な位置に置かれたはずだ。
◆それが、リニューアルした。雑誌は生き物だ。商売だ。流行を作り出すものだ。売り上げが落ちたら廃刊するか衣裳を替えるかどちらかするのがあたりまえだ。その結果、古くからのファンからほぼ100%近い〈静かな怒り〉を表明された。その〈静かな怒り〉を超える程の〈新しいクウネル〉に辿り着けなかったということだろう。元同業者(のようなもの)としては、新しい雑誌のディレクターを無慈悲に責めることはできないが、正直なところ戦略を見誤ったような気がしてならない。
◆出版社も大変な時代を生きている。甘いことなど言ってられない。でも、こういう時代だからこそ無理してでも残していかなきゃならないものを残す。そういう判断ができる企業こそ生き残っていくんじゃないか。という考えこそ甘いというのももちろん承知の上で。
◆僕は若い時代を〈雑誌〉に育ててもらった。今も残る雑誌〈BRUTUS〉は僕の十代後半から二十代前半の時期においてバイブルだったと言ってもいい。ないかもしれないけど、今の僕に少しでも格好良いと思える要素があるなら、それは〈BRUTUS〉から貰ったものだ。
◆そういう雑誌が、どんどん生まれてほしい。生き残ってほしい。ファイトだ。雑誌編集者。

ジャイロアンテナのクーガNo.72016年01月20日

◆晴れたり曇ったり。cougar7
◆去年もそうだったのだが、北海道各所が大荒れで被害も出ているときに我が家近辺は穏やかな天候だった。今もそうだ。でも今夜辺りから大雪ということなのだがどうだろうか。できれば雪は小出しに降っていただきたい。
◆居間で使っているDVDレコーダーがついにいかれた。何せBlu-ray対応していない古いものなので寿命なのだろう。致し方なく新しいものを購入。これで居間の大きなテレビでもBlu-rayで映画が観られる。と言いながら実は執筆部屋にテレビもBlu-rayレコーダーもあって不自由はしていないのだが。
◆ふと思い出したのが、ラジオだ。初めての〈自分だけの電化製品〉というのはラジオだった。写真がその懐かしい〈ラジオ〉だ。僕の年代の人にはたまらなく懐かしい〈クーガNo.7〉だ。どうだこのメカメカしさに加えたミリタリーなスタイル。あぁ血湧き肉躍る。まさしく〈男の子ってこういうのが好きなんでしょ?〉だ。これで僕は中学生の頃、ベッドの中で〈オールナイトニッポン〉の一部と二部を聴いていたんだ。今にして思えば取っておけばよかったなぁと思う。捨てた記憶はないんだが、実家のどこにもないのでまぁ捨てられたのだろう。そういえば夏休みのキャンプにも担いで持っていった気がする。
◆この後にすぐ〈ラジカセ〉や〈ステレオコンポ〉が主流になっていったので、ただの〈ラジオ〉はどんどん忘れられていった。初めての一人暮らしのときも、持っていったのはステレオだ。チューナーがあったので単体のラジオは必要なくなっていった。そうやって時代を追っていくと技術の進歩は凄まじいなと思う。今はiPhoneひとつで何でも兼ね備えてしまえる。
◆でも、〈ラジオ〉っていいよね。うん。

星も翼もある。2016年01月19日

◆大荒れになっている北海道だが、我が家近辺はまだ穏やかな天候。desparade
◆SMAPの会見にかんしては、何を言っても憶測になってしまう。SMAPがこれからも続く(だろう)ということでひとまずは終わり。ただ、これだけの騒ぎを起こしたのだからこの先に何があってもおかしくはないだろうとは思う。
◆その騒ぎの熱も冷めないうちに、〈イーグルス〉のオリジナル・メンバーのグレン・フライ死去の報が入ってきた。〈イーグルス〉は僕の中では最高のアメリカのロック・バンドだった。アメリカのロック・バンドといえば〈イーグルス〉だった。もちろん他にもザ・バンドやドゥービー・ブラザーズやシカゴやドアーズやシルバーやヴェルヴェット・アンダーグラウンドなど大好きなバンドはたくさんあったけれども、いちばん琴線に触れてきたのは〈イーグルス〉だった。特に『ならず者』は、なんだろう、まだ十九、二十歳の僕の精神の根っこになっていったようなアルバムだった。拙著『HEARTBEAT』や『HEARTBLUE』のシリーズはこのアルバムがベースになっている(歌詞をそのまま引用もしている)。それぐらい、大好きだった。今僕は自分のことをろくでなしなどと嘯いているが、いつまでもこのアルバムを心に置いておきたいからというのも、実はある。
◆憧れていた人たちが逝ってしまう度にここで書いている。彼らがいない世界をまだ生きていかなきゃならない。どんなことがあろうと最後まで歩いていかなきゃならない。いつか向こうに行ったときに、胸を張って会いに行けるように。
◆それにしても、デヴィット・ボウイに続いてグレン・フライだ。さすがにちょっとショックが続き過ぎだ。
◆ボウイという星を失い、イーグルスという翼ももがれた。でも大丈夫だ。星も翼も、この胸の内にある。血となって身体中を巡っている。だから歩いていける。

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