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Diary

シン・ゴジラとヒトサライ2016年08月02日

◆暑い。hitosarai2
◆ここ何日かの北海道は信じられないぐらいのジメジメ天候。カラッとした天気が通常営業の北海道ではこの湿気は本当にツライ。そもそも僕は湿気に弱い。暑い気温には耐えられるが湿度が高いのはダメなんだ。
◆8月になってしまって相変わらず締切りにずっと追われている。少々疲れているのは自分でもわかっているんだが、何せ引き受けた仕事だ。最後まできっちり仕上げなければ男がすたる。
◆そんな中、『シン・ゴジラ』を観てきた。これはきっと傑作だというのは予告を観た瞬間に思ったし、信頼できる映画通の方々の絶賛の声を聞いてもういてもたってもいられずに観てきた。
◆結論として、傑作だ。大傑作だ。これを観ずして日本の映画を語るなと言いたいほどの傑作だ。なお、僕は過去のゴジラは全部観ているが、庵野監督作品はほとんど観ていない。エヴァンゲリオンすら観ていない。それでも、傑作だと強く言う。いろんな、あらゆる意味で、ファーストゴジラを上回るほどに。
◆それ以上は言わないでおく。ぜひ、映画好きの方々は観ていただきたい。
◆写真はバービーボーイズのイマサさんのバンド〈ヒトサライ〉の2ndアルバム『嘘のようなマジな話』。こちらも明らかにファーストアルバムを超える作品になっているんじゃないかと。バンドとしての熟成が音に現われているのはもちろん、ほとんどの作詞作曲を手掛けるイマサさんに訊いてみなきゃわからないけど、曲作りの中で「あぁ、今はこれでいいじゃん」と思えた瞬間があったのではないかと。それぐらい、ファーストに比べると繰り出されるジャブに確信を持った上での軽やかさがあるように思える。

『ビタースイートワルツ』文庫が出ます2016年07月27日

◆雨。bitterbunko
◆札幌近郊は今日から三日間は確実に雨という天気予報。仕方ないね。そんな日に〈ダイ・シリーズ〉第三弾『ビタースイートワルツ』(実業之日本社)文庫版の見本が届きました。
◆単行本の際にもお話していますが、今回は年代でいうと2000年の話になります。今から16年ほど前ですね。主人公であるダイこと弓島大は40歳も目前の39歳になっています。『コーヒーブルース』で中学生だったあゆみも大学生になって〈弓島珈琲〉の常連になっているのをはじめとして、丹下さんも純也も三栖もそれぞれ年を重ねています。平和ないつも通りの毎日に、ふいにやってきたのは三栖が行方不明になっているという部下の甲賀からの話。そして時を同じくしてあゆみの親友の女子大生が学校を無断欠席しているという知らせ。まったく別のものかと思われた二つの行方不明の話がやがて交差していく……というような話で、またしても〈弓島珈琲〉の常連たちが事件解決に走り回ります。
◆さて、この〈ダイ・シリーズ〉。まったくシリーズにするつもりはなかったものですから多少時系列がややこしいです。二作目からは順番に年を重ねていくのですが、何せ一作目でダイの大学生時代(1980年)と45歳(2006年)を交互に展開させたので、この三作目でもまだ一作目の年齢に追いついていないことになります(ちょっと混乱しちゃいますよね)。現在秋の出版を予定している第四弾『スローバラード』でようやく現在(2015年)に追いつきます。できれば、一作目の『モーニング』から読んでいただけると、細かい人間模様も納得できるかと思います。どうぞよろしくお願いします。
◆〈ダイ・シリーズ〉は一応秋に出る『スローバラード』で現在に追いついたので、一区切りはつく予定です。この後のことはこれから実業之日本社の担当編集さんと話し合いますが、ひょっとしたら〈ダイ・シリーズ新章〉として新たな展開が続くかもしれません。ご期待ください。
◆ま、全員50代40代になったのでおっさん臭い話になると思うんですけどねヽ( ´ー`)ノ

何者でもないうちに2016年07月26日

◆晴れたり曇ったり。piedpiper
◆7月も後半になってしまった。冷や汗が出てくるぐらいに締切りがマズイ状況に陥っているのだが、今年も何人かの物語好きな子供たちに会う時期になってしまった。明日から三日間だ。
◆札幌の北海道立文学館というところで毎夏休みに〈中高生のための文学道場〉というものを主催している。そこでの講師を頼まれてもう五年目(たぶんそれぐらい)だ。物語を書いてみたいという中高生に、僕の考えている〈物語の書き方〉の基本を教えている。僕は専門学校や大学での講師の経験もあるので教えることは得意なのでいいのだが、そろそろ他の方に変わってもらってもいい時期じゃないかと思っている(^_^;)。
◆ただ、小説が好きで物語を書いてみたい(あるいは書いている)という子供たちに会えること自体は楽しい。残念ながら、正直なところ、きらめくような才能に出会えることは今までなかったのだが、「おっ、これは」と思える子供がいたことはある。そういう子がやがて素晴らしい小説を書いて世に出てくれればなぁと期待している。
◆僕が中高生の頃はひたすらギター抱えて歌っていた。作詞作曲してシンガーソングライターになりたいと思っていた。思えば高校生の頃の僕の頭の中には〈音楽〉しか詰まっていなかったと思う。その頃は小説もそれほどの量は読んでいなかったはずだ。好きこそ物の上手なれ、と言うが生憎とギターの腕はまったく上達しなかったけれど、〈自分だけのものを作る〉という感覚だけはその頃に磨かれていったかもしれない。
◆それと同時に〈自分よりすごい奴は世の中にたくさんいる〉という軽い挫折と現実を味わったのもその頃だ。中学生や高校生、そして大学生の頃に何かに夢中になって、成長や挫折を繰り返すというのはものすごく大切なことだと今なら思えるし、同時に、そういう学生生活を味わえたのは幸せなことなんだと思う。
◆まだ何者でもないうちに、何でもやってみた方がいい。もしここを読んでいる学生の人がいたら、そうしてほしい。世の中に出たら辛いことばかりが増えていく。その中に、でもけっこう捨てたもんでもないぞ、と思えることも増えてくる。それはきっと、何者でもないうちに経験したことがたくさんあればあるほど感じるものかもしれない。

煙に巻く2016年07月21日

◆晴れ。気持ち良い天候。kayari
◆夜には心地よい気温にはなるものの、ようやく金鳥の蚊取り線香を蚊遣り豚で焚くのにちょうど良い季節になってきた。去年買った蚊取り線香が残っているのでこれを消化するためにも夏らしい暑い天気が続いてほしい。
◆夏の風物詩でもある甲子園。北北海道代表にはなんと創部三年で初出場の、深川市のクラーク記念国際高校が名乗りを挙げた。素晴らしい。そもそもクラーク記念国際高校は通信制の高校でまだ歴史も浅いのでまさかという雰囲気が強かった。え、あそこって甲子園出られるの? なんていう声もあった(通信制という制度の誤解から)。ぜひ甲子園でも頑張っていただきたい。南北海道代表は明日決定。
◆ネット上に上がる自分の作品への感想をたまに見る。つまりエゴサーチをかける。批評にも感想にもならないくだらないものは見なかったことにするが、思わず「あのなぁ」と言いたくなる見当違いのものもある。
◆僕は1961年生まれなので、1980年には19歳になっていた。その辺り、つまり僕が高校時代から二十歳ぐらいの頃のことを物語にすることも多い。その頃は煙草はどこの喫茶店でもレストランでもバーでも居酒屋でも吸えた時代だ。灰皿はどこにでも置いてあった。歩き煙草もあたりまえに皆がしていた。喫煙所なんていうものもなかった。禁煙、という言葉はあったがそれは健康のためにではなくサラリーマンがお小遣い節約のためのお題目だった。今から35年ほど前の、1980年とはそういう時代だ。別に喫煙を推奨しているわけではない。それが当たり前だったのだ。理解していただきたい。
◆まぁ高校生なのに学校帰りに喫茶店によって大人に混じって堂々と煙草を吸っていたっていうのは、学校が私服だったし音楽をやっていたって環境もあるけどね。普通の真面目な高校生はそんなことはしてなかったとは思うヽ( ´ー`)ノ
◆1980年は、ジョン・レノンが死んでしまった年として記憶している。まだネットも携帯もないからテレビとラジオがニュース速報を知る唯一の手段だった。予備校から帰ってきてそのどっちも観ない聞かないまま自分の部屋で過ごして、なじみの居酒屋に顔を出したらそこのマスターからジョン・レノンが殺されたらしいと聞かされた。有線ではずっとジョン・レノンやビートルズの曲を流していた。僕は煙草を吹かしながらそれを聴いて、他の常連の皆と口ずさんで、どうしてそんなことになっちゃったんだろうとずっと考えていたっけ。

煙草をワンカートン買ってネオン街を歩く2016年07月18日

◆晴れたり曇ったり。少し湿度が高かった一日。serge
◆近所のコンビニがいつもの煙草を切らしてしまった(ちょっと発注ミスがあったような雰囲気)。あまり売っていない銘柄なので致し方なく確実に売っている札幌駅前のデパートまで買いに行って2カートンほど買ってきた(カートンとは煙草10個入りの箱だ)。カートンで買うなんて大人だね、と思われるかもしれないが、実は若い頃からカートンで買うことを覚えた。もう三十五年以上も前の出来事がきっかけだった。そのことを以前にエッセイで書いたので、その文章を多少改稿して以下に載せてみる。
◆初めて一人で夜の街に出たのは高校生の頃だ。僕が生まれた旭川市には三・六街という歓楽街がある。札幌のススキノを多少規模縮小したものだと思ってくれればいい。ネオンが輝くたくさんのビルに飲み屋が軒を並べ、普通の人たちもちょっと危ない人たちも、若者も年寄りも同じ道を歩き今夜の酒を楽しむ、そんな歓楽街だ。そこの一角にある菓子問屋でバイトを始めた。どうしてまたそんな、という経緯は話が長くなってそれで長編一本書けるので省くけれども、とにかく学校が終わってから僕はその歓楽街のど真ん中の小さな古い建物の菓子問屋に出勤して、飲み屋街を文字通り走り回ったんだ。仕事は、おつまみの配達。お菓子から珍味まで、バーやスナックといった飲み屋で出てくるようないわゆる〈乾きもの〉ならとにかく何でも扱っていた。
◆店から直接注文の電話を受けるとそれをメモして揃えて大きな布袋に入れて「行ってきます!」と、ネオン街に飛び出す毎日。何せ狭い範囲にごちゃっと店が固まった歓楽街だ。車や自転車などで配達していては駐車したりなんだりいちいち面倒で手間でしょうがない。だから、自分の足で走って届けるのがいちばん速かった。たくさんの人が行き交う歩道を軽やかにステップを踏んで、まるで障害物競走のように人々の合間を走り、路地をすり抜け、ビルの階段を昇って降りて、僕は〈おつまみ〉を配達していた。居酒屋、バー、スナック、クラブ、パブ、ストリップ劇場、ラーメン屋とありとあらゆる店に顔を出して「毎度様です!」と元気よく挨拶していた。当たり前の話だけど、いくら三十数年も前の時代とはいえ、普通の高校生がするようなアルバイトじゃなかった。だから、お店の人たちにとても珍しがられた。いつも声を掛けられた。
「高校生かよ? 偉いな坊主」
「あら、若いのに大変ねぇ。ご苦労様」
「無理すんなよ。明日も学校だろ?」
「気をつけろよ小僧。こういう場所はおっかねぇからな」
◆夜の街で働く人たちは皆、例外なく僕に優しかった。笑顔を向けてくれた。必ず十円と五円をお駄賃にくれた小料理屋のおかみさん、座ってジュースを飲んでいけと言ってくれるバーのマスター、焼きうどんを食べさせてくれた居酒屋の大将、いつか飲みに来たらタダにしてやると笑っていたパブの店長、高校生男子には目の毒なサービスをしていつもからかってくるストリッパーのお姉さん。そして、ドラマでしか聞かれないような、お約束みたいな言葉を本当に言ってくれたクラブのオーナーもいた。
「配達中に何かトラブルがあったら、俺の名前を出せ。それで片が付くから」
間違いなく怖い世界の住人であるその人は、見た目と裏腹に僕には優しかった。もし昼間にばったり会っても絶対に俺に声を掛けたり挨拶したりするな、と釘を刺してもくれた。普通の高校生である僕に迷惑が掛からないようにという配慮だったんだな、と気づいたのはしばらく経ってからだ。
◆バイトの最後の日、そのクラブのオーナーに「今日で終わりです」と言うと「学校も卒業か?」と訊いてきた。そうですと頷くと、にんまりと笑って言った。
「煙草は何を吸ってる」
「マルボロです」
「何だ随分といいもん吸ってやがんな」
その人は苦笑いしながら、マルボロをワンカートン買える金額を手渡してくれた。
「煙草をワンカートン、いつでも気軽に買える金を稼げる大人になれ。人生なんてそれで充分だ」
そう言って、この街を出ていっても頑張れよ、と、僕の背中をポンと叩いてくれた。
◆その言葉を、たぶんあの頃のあの人と同じような年齢になった今噛みしめる。本当に、人生はそれぐらいで充分だと思う。それぐらいの人生を送ることが実は本当に難しいのだと痛感する。
◆煙草のカートンを手にして街を歩くと、ふいにあの頃のことを思い出すこともある。
◆ネオンきらめく夜の街だ。たくさんの人々が舗道をそぞろ歩いていて、その騒めきが聞こえてくる。そういう夜のネオン街の光景を見ていると、その中に立つと、僕はたまらなくノスタルジーを感じる。懐かしくなる。もしくは〈青春〉という時代の真ん中にいた自分を思い出して、つい頬を緩めてしまう。あの頃に帰ってしまう。夜の街で働く人たちが、僕の中の一部分を作ってくれたと思っている。
◆感謝を込めて、街を歩く。

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