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Diary

だから戦争をしてはいけないんだ2016年08月15日

◆晴れ。蒸し暑い。kinjiraretaasobi
◆何度も言うが湿度には弱い。本当に弱い。あっという間に体力が奪われて気力も削がれていく。小路殺すには刃物はいらぬ高温多湿があればいい、だ。
◆前にもここに書いたが、写真の映画『禁じられた遊び』は長い間観ることができなかった。小さいときに観て、本当に悲しくて悲しくてただ悲しくてそれ以降観るのにくじけてしまうようになったからだ。映画そのものは永遠の名作と言っていい映画なのでふと思う度に観たくなるのだが、それでも躊躇してしまっていた。
◆1952年に公開されたフランス映画だ。第二次世界大戦中、フランスに侵攻したドイツ軍から逃げていた家族の中に、幼い少女ポーレットがいた。しかし機銃掃射で彼女を残して家族は死んでしまう。運良く農家の男の子ミシェルと出会い、ポーレットはミシェルの家に迎えられる。そこから先はぜひ映画を観てほしい。僕は思い出す度に、あのラストシーンの、ポーレットの声が甦ってきて胸が締めつけられる。
◆〈禁じられた遊び〉とは何かというと、まだ幼いポーレットは死というものを理解できず、そしてキリスト教の信仰も祈りもわかっていなかった。彼女にとって〈十字架〉はきれいで素敵なものでしかなかったのだ。ポーレットの喜ぶ顔を、幼い笑顔を見たくて、そして笑顔にさせたくて、ミシェルは十字架を盗んで集める。それが、〈禁じられた遊び〉だ。
◆子供は、未来への希望だ。そして戦争は、子供たちの未来を奪うものだ。だから、もう二度と、繰り返してはいけないものなんだ。
◆子供は、ただ無邪気に遊んでいなければならない存在だ。そして戦争は、子供たちから遊びを奪うものだ。だから、もう二度と、繰り返してはいけないものなんだ。
◆大事なことなので二回言いましたがそこはそれ作家なので表現を替えてお送りいたしました。

いつも幸せすぎたのに気づかない2016年08月14日

◆晴れ。暑い日。北海道の短い夏はいつまで続くか。smap
◆ファンではない。だから全然詳しくはない。でも、ここ数年は観ていなかったけれど、ある時期のスマスマはずっと観ていたはずだ。彼らのシングル曲なら大体は知っている。
◆この二十数年間トップアイドルの位置を保ってきたSMAPは、たぶん十代から六十代まで幅広い世代の共通の話題として存在してきた。だからこそ、解散の報をNHKが速報までした。その存在の意義を理解していたんだろう。
◆今はそれぞれに芸能界での立ち位置を確保しているし、どうやら大人の判断でジャニーズ事務所に全員残るらしいからこれからも個々の活動は続いていくんだろう。中居くんは主にMCとして、木村くん、草彅くん、吾郎ちゃん、慎吾くんは俳優として。ひょっとしたら木村くんはソロ歌手の活動もあるのかもしれない。でも、きっと誰もが〈元SMAP〉という呼称を嫌がるだろう。それぞれの立場で。そんな気がする。
◆芸能人は皆わがままだ。実はそれは小説家もそうなのだけど、それよりもはるかにわがままだ。自分たちの活動がどれほどの人間の生活を支えているかを理解できない。理解できても実感できない。周囲がさせようとしない。彼らはずっとトップアイドルだったからだ。アイドルが幸せでなくなるとそれはイコール商売にならなくなったからだ。SMAPはいつでも幸せな膜の中にいた。個人的な悩みや軋轢はいくらでもあっただろうけどそんなものはトップアイドルという地位においては些事として切り捨てられる。捨てなきゃならない。
◆四十代の地位も名誉もある社会人なのだから、本当の意味で商売のことをファンのことを考えたのなら解散はすべきではない。何もかも腹の中に飲み込んで続けるべきだった。それを選んだのはきっと木村くんと中居くんだったのだろうけど、どうしても選べなかった他のメンバーがいたんだろう。
◆彼らが、あの頃は幸せだったと気づいてまた五人揃って話せるのには何年かかるだろう。十年以上はかかるだろうか。願わくば誰かを失う前にそれに気づいてほしいと、一回りも違うおっさんは思う。

墓参りとサントラ盤2016年08月11日

◆晴れ。暑かったけどカラッとしていて良い。singojim
◆お盆の墓参りを済ませてきた。自由業だからいつでも行けるのだけど、あれこれ考え合わせて今日にした。毎年のことなのだが、妻と私の実家のある街は車で小一時間ほどの距離にあるので、二家族分の墓参りを済ませる。それぞれの実家が近いというのは実はちょっと困りもので、子供の小さいうちは休みのときには必ず両方の家に帰省しなきゃならなかったことだ。スケジュールのやりくりが大変だった。
◆今でこそ小説の中にきっちり描いているものの、結婚前の若い時代にはお盆のことなど気にも留めなかった。当然実家にも帰っていなかったし墓参りなんてのもしていなかった(じいちゃんばあちゃんスマン)。そういう〈行事〉に参加するようになったのは結婚してからだ。妻に、お盆とか、年末年始とか、厄年とか、お宮参りとか、そういうものを粗末にしてはいけないと怒られたからだ。ろくでなしではあるものの基本女性の意見は素直に聞く性質である私はしずしずと従い今に至っているヽ( ´ー`)ノ。しかし考えるとこの性格は幼い頃に二人の姉に「私の言うことは聞くの!」と、否応無しにさんざん刷り込まれたものではないかと思うのだがまぁ今さらどうしようもない。
◆結婚とか、子育てとか、そういうものを経験しなくても小説は書けるが、少なくとも私の場合はその全てが良い経験になっているんじゃないかと思う。
◆写真は映画『シン・ゴジラ』のサントラ盤。実は気に入った映画のサントラ盤はほとんど購入している。もちろん、小説を書くときの〈架空のサントラ盤〉を作るのにピッタリだからだ。このサントラ盤に入っている曲もいつか使う日が来るだろうか。既にウルトラマンのサントラなんかは使っているので出番がないことはないと思う。

『炎のランナー』は誰と観に行ったのか。2016年08月09日

◆曇り。honoono
◆昨夜は大雨警報に洪水注意報となかなかアクティブな夜だったが朝になって空気が一気に涼しくなった。湿気はまだ高いんだけどいくらか過ごしやすいかな。
◆タイトルで出オチ感満載なのだが、オリンピックが始まるといつも思い出すのが映画『炎のランナー』だ。観ていない人は良い映画なのでぜひ。イギリス好きにはたまらん部分も満載です。この映画、1982年の日本公開で僕は21歳になっていた。間違いなく劇場で観たのだ。「あぁ良い映画だった!」といい気分になって劇場を出たのも覚えている。昼間の上映でその後に喫茶店に寄ってコーヒーを飲んだのも覚えている。確か当時の札幌でも有名な喫茶店〈バナナボート〉だったはずだ。しかし、誰と観に行ったのかがさっぱり浮かんでこない。間違いなく誰かと観に行ったのだが。
◆時期的に考えると喫茶店でバイトしていた頃なので、バイト仲間の誰かかとも思ったが、全然イメージが湧かない。そもそもバイト仲間は男ばかりなので、野郎同士で映画を観に行く趣味はない。ならば当時付き合っていた彼女かと考えたが、その頃誰と付き合っていたのか覚えていない。っていうか確か実に微妙な時期だったように思うのでうっかり妻に訊いてみて地雷を踏みたくもないヽ( ´ー`)ノ。ここを読んでいるその頃の友人で「俺だ俺」もしくは「私よ私」という人がもしもいたら連絡ください。
◆オリンピックにイチロー3000本に高校野球に不戦の誓い新たの季節、と、実に忙しい夏になっている。そして、天皇陛下のお言葉だ。
◆あの頃の話だ。僕は広告会社でイベントプランナーなる仕事をしていた。昭和天皇が入院なされてから世の中はイベント自粛の方向に動き、催事やイベントほとんど何もかも中止になっていった。キャンセルとその後の処理が終ると会社に行っても何もすることがなかった。マジで一日中雑誌を読んだりしていた。何もしないで給料を貰えるぞ、とは思ったものの、正直しんどかった。だから、天皇陛下の世の動きを停滞させることのないように、というお気持ちは本当にありがたいと思うし、いかに天皇陛下がご自身の立場を理解し国民のことを考えておられるかがよく理解できた。
◆守るべきは守り、変えるべきは変える。大事なことだと思う。

シン・ゴジラもう一度2016年08月03日

◆今日も暑く湿度は高かった。singozilla_sashikae2
◆映画『シン・ゴジラ』についてどうしてももう一度話したくなったので書く。
◆もちろん私は今55歳でど真ん中の〈怪獣で育った世代〉だが、まさか、50半ばにして、怪獣映画で泣かされるとは、震撼させられるとは、本気で恐怖させられるとは、心の底から「傑作だ!」と叫びたくなるとは露程も思っていなかった。
◆少し昔話をする。僕は製紙工場の社宅で生まれて育った。今も旭川市で操業し続ける巨大な製紙工場だ。敷地も広大で、工場のすぐ近くに、本当に目と鼻の先にたくさんの社宅が並んでいた(これはデビュー作で描いた)。そのひとつに、住んでいた。だから、大工場は日常の風景だった。その中で、いつも畏敬の念を抱かされたのは、〈夜の工場〉だ。幼稚園に入る前の話だから〈夜の工場〉を見る機会などほとんどない。けれども、何かの折りに見る機会が訪れた。
◆そこには天に届くかと思うような屹立する巨大な煙突が何本も昼間とは違う顔を見せて立っていた。その煙突からは24時間白や灰色の煙がもくもくと立ち上っていた。立ち上るという表現が大人しいほどだ。風が強い日などは煙突からの煙でその煙突や大工場自体が煙で隠れてしまうこともあった。
◆想像してほしい。夜の闇の中で赤や黄色の光があちこちに灯る大工場と巨大な煙突が何本も煙の中に溶け込み風が吹くとその威容を現すのだ。それを、幼稚園の男の子が見るのだ。まさに、「怪獣みたいだ」と、幼い私は思った。怖かったけど、いつまでもいつまでも見つめていたかった。怖いのに目が離せなかった。煙に見え隠れする巨大な煙突を見上げていた。
◆『シン・ゴジラ』は、まさにそのときの自分を思い出させてくれた。50年分のいくつもの震災の悲劇の記憶の蓄積とともに浮かび上がる感情と一緒に。怖いのだ。怖いのに眼が離せないのだ。凄い、と、心の底から畏怖するのだ。
◆思えば、日本人ははるか昔から地震や台風や火山という〈荒ぶる神〉と共に暮らしてきた。いつやってくるかわからないその〈荒ぶる神〉に暮らしをずたずたにされながらも、その都度立ち上がり、この日本という地で生きてきたのだ。そういう思いにまで『シン・ゴジラ』は浸らせてくれる。

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