SHOJI YUKIYA OFFICIAL SITE sakka-run:booklover’s longdiary since 1996.12.18

Diary

ジョン・レノンが殺された冬の頃の僕は2016年12月08日

◆晴れたり曇ったり。
◆ジョン・レノンが死んだ日。僕は19歳だった。浪人中で、一人暮らしを始めて迎えた最初の冬の日。その頃の僕はまだミュージシャンへの夢を捨て切れずに、アルバイトしたりたまに予備校に行ったりライブハウスで歌ったりしていた。住んでいたアパートは、もうその頃でもあまり見かけなくなっていた木造の風呂なし共同玄関・炊事場・トイレという古いアパートだった。僕は部屋は六畳間で、何故か床の間があってその床の間には一応シンクがあって簡単な食事は作れるようにはなっていた。置いてある家具はカラーボックスと机と椅子と小さなテーブル、そしてステレオに小さなテレビに小さな冷蔵庫。それだけだった。すぐ近くに銭湯があって、一番風呂にもよく入っていた。近所のおじいさんたちと仲良くなって、日曜日に頼まれて物置の修繕なんかを引き受けたこともあった。
◆家賃は、確か一万五千円ぐらいだったはず。誤解のないように言えばその当時でも格段に安かった。それぐらい、オンボロのアパートだったんだ。アパートの裏にあった喫茶店のコーヒーは確か300円ぐらいじゃなかっただろうか。喫茶店のママは僕ら学生に優しくて、煙草を切らして買おうとするとよく自分のをくれた。ピザトーストが美味しくて、よく食べていた。
◆アパートの近くには、アルバイトで知り合ったSさんが出した小さな居酒屋があった。カウンターだけで十人も座ったら満席の本当に小さな部屋。Sさんは何故か僕を気に入ってくれていて、毎晩晩ご飯を150円で食べさせてくれた。ご飯に味噌汁に焼き魚だったりハンバーグだったりその日の仕入れによっていろいろ。自分の晩ご飯と一緒に僕の分も作ってくれたんだ。代わりに僕は皿洗いや片づけや、常連客の相手をしたりしていた。
◆まだ携帯電話もネットもない時代。日常の情報は新聞とテレビとラジオだけ。予備校に行って友達と少し遊んで部屋に帰ってきて、晩ご飯を食べようとSさんの居酒屋に行くと、Sさんと常連のMさんの二人だけで、そして店に流れる有線からはジョン・レノンの曲が流れていた。Sさんが、何故か暗い顔つきをしていて僕に言った。
「聞いた?」
「何を?」
「ジョン・レノンが殺されたって」
◆もちろん、ビートルズは大好きだった。ショックを受けて目の前が暗くなった、というほどのファンではなかったけれど、思わず「ええっ!」と大声を出して、椅子にストン、と座った。殺された、という言葉が本当に信じられなかった。有線はずっとレノンの曲を流していた。
◆時代はバブルへ向っていた。四畳半フォークを地で行くような暮らしをしていた僕も、すぐに小奇麗なマンションへ引っ越した。銭湯へ通う代わりに毎朝熱いシャワーを浴びはじめた。DCブランドの白いシャツを着たり、シャワーコロンをつけたりし始めた頃だ。
◆そんな暮らしをしていた。

ページトップへ