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Diary

だからff(フォルティシモ)は恥ずかしい2016年10月30日

◆曇り。そういえば一歩も外へ出なかった気がする日曜日。gen
◆そもそも曜日というものが自分の生活にほぼ関係なくなってしまっている。「でも編集者さんは土日がお休みでしょう?」と仰る向きもあるだろうが、僕もそう思うのだけど土日にメールをくれる仕事熱心な編集者さんは本当に多いのです。
◆閑話休題(それはさておき、という意味です)。今から30年以上も前の24歳のときだ。その年の僕は先輩と始めた喫茶店を閉めた。全然儲からなくてたった1年半の営業しかできなかった。それ以前にやっていた音楽関係の仕事も全部なくなり、つまり、完璧な無職になっていた。店を売ったお金はあったので当座の生活には困らないのだけど、24歳だ。「これから何をしよう」と、ある意味途方に暮れていた。バイトは、以前バイトしていた店に戻ればいつでも雇ってくれる。けれど、24歳だ。ミュージシャンへの道はとっくに才能がないことに気づき諦めていた。同級生たちはとっくに就職して立派な社会人として歩んでいる。それなのに、「俺は何をしたいんだ?」と、一人暮らしの部屋で毎晩の様に考えていたけど何も思いつかなかった。「自分には何ができるんだ?」。いくら問うても答えが出なくて、根がろくでなしとはいえさすがに気が滅入っていた。そんなときに、テレビの音楽番組から新曲が聴こえてきた。当時売れていた〈ハウンドドッグ〉の『ff(フォルティシモ)』だ。ワンコーラス聴いて、「なんてベタな歌詞とキャッチーなメロディだ」と思った。愛がすべてさいまこそ誓うよ〜愛を込めて強く強く〜♩と、大友さんがあのハスキーな声で歌っていた。随分だな、と、苦笑した。あの〈ハウンドドッグ〉がこんな媚びたような歌を出したのかと少し揶揄するような気にもなった。
◆ところが、気づくと目頭が熱くなっている自分に気づいた。「あれ?」と思った。胸に何かが込み上げてきた。〈言葉にならない胸の熱いたぎり、拳を固めろ叩きのめされても。激しくたかぶる夢を眠らせるな。あふれる思いをあきらめはしない〉。その歌詞が、僕の中の何かを揺さぶってしまった。
◆あぁそうか。そうだった。自分の好きなことをして生きていくんだった。そう思いだしてしまった。
◆「いやそれにしたってこの歌詞に感動したのか俺! そんなベッタベタな人間だったのか!」と、頭を抱え込んだが、しょうがない。ああぁそうさ感動してしまったんだよ。感動して、立ち直ってしまったんだよ。
◆だから、今でも『ff(フォルティシモ)』がどこかから流れてくると、恥ずかしくなってどこかへ隠れたくなる。
◆でも、良い曲だよ。
◆写真は何の関係もないけど、大好きなセルジュ・ゲンズブールもの。彼の生き方も、そう言うのは少し恥ずかしいが、大好きだ。

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