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Diary

小説を書くということは2019年09月27日

◆東京も札幌近郊も晴れていた。なかなか暑い。
◆一晩だけ東京に行っていた。KADOKAWAさんの主宰する〈角川文庫キャラクター小説大賞〉の選考会だ。選考委員なんて柄でもないのだが、KADOKAWAさんにはお世話になっているし三年間という短い任期だったので引き受けた。今年で三年目なので終了。お世話になりました。同じメフィスト賞出身の高里椎奈さんとも三年間一緒に審査できて楽しかった。高里さんまたどこかで会いましょう。
◆三年間やってきたけど毎年最終候補作のレベルが上がっていくことに驚いた。本当に一年目二年目三年目とぐんぐん上がっていった。それが僕ら二人が選考委員であることが要因だったら本当に嬉しいんだけどどうなんだろう。
◆候補作のジャンルも毎回バラエティに富んでいて、普段読まないようなジャンルの作品を読めたのもなかなか楽しかった。きっとげんなりするようなものもあるのかなぁと戦々恐々の部分もあったけど、さすがに最終候補に残るものだけあって、きちんと〈小説〉になっているものばかりだった。中には本当に「よくこれを最後まで書き上げたなぁ」と感心する作品もあり、初心忘れるべからずだなぁ、と自分に言い聞かせたりなんだり。
◆小説を書くというのはその人の(登場人物の)人生を書くということであり、よく〈人間が書けていない〉なんてネタのようにされる批評もつまりは登場人物の人生が見えてこない、ってことだと思う。それがたとえ高校生だとしての十何年間の人生の積み重ねは間違いなくその人の個性になっている。作者である書き手がそこをきっちり考えてやらないと、つまりその登場人物が生きてこないということだ。登場人物が勝手に動き出すというのは本当によくあることで、それはしっかりとその人の人生を作り上げているからこそ、その舞台で勝手に動いて自分の日々を作ってくれるのだ。
◆だから、小説を書こうとする人は、小説家になりたいという人は、毎日をきちんと生きていった方がいい。たくさん本を読んで映画を観てドラマを観てマンガを読んで、そしてたくさんの人たちの人生を思った方がいい。確かに想像だけで小説は書けるけれども、百人の知人がいてその人の人生を思える人と、五人しか知人がいなくて自分の人生しか思えない人なら、明らかに想像できる幅が違う。銀河系と太陽系ぐらい違う。少なくとも僕はそう思う。友達百人作ろうという話ではなく、百人の人の人生を思える方がいいと思う、という話だ。
◆打ち合わせもしてきた。また新しいお仕事の話もいただいた。ありがたいことだ。これでまた数年間小説を書いていける。自分の作品を世に出せる。
◆猫を飼ってから初めて僕が一晩留守にしたんだけど、飼い主が帰ってきても猫は特に反応しなかった。犬なら尻尾振って喜ぶのに。猫は「あら」って顔をして通り過ぎただけだった。今も寝ている。

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