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Diary

良いお年を!2018年12月31日

◆札幌近郊は薄曇りの、2018年が終わる朝を迎えている。いつもなら夜に更新するところだけど、最近は夜はすっかり書く体力がなくなる(^_^;)。執筆するので精一杯でここを更新する余裕がないのだ。なので、朝からもう今年最後の挨拶をしてしまう。
◆ここから先はほぼ毎年同じことを書いていますが(^_^;)、今年も書きます。
◆おかげさまで今年もたくさんの物語を書くことができた。連載はもちろん、単行本も文庫本も多く出すことができた。何もかも、僕に執筆を依頼してくれる出版社編集者の皆さん、そして僕の本を置いてくれる書店さん、買ってくれる読者の皆さんのおかげだ。本当に、毎年同じことしか言えないけど、感謝しかない。小説家は、生き方であると同時に職業だ。生活の糧を得るために物語を書いている。その物語を全部の意味で〈買ってくれる〉人がいないと成り立たない。皆に生かされている。今年もそうやって生きてこられた。本当に、繰り返すけど感謝の気持ちしかない。
◆人生は美しい、未来は明るい、と、笑顔で高らかに青空に向かって叫びたいけれども、残念ながらそうもできない。この国は、政治家を筆頭に馬鹿が多すぎる。馬鹿が多すぎて数少ない善き人々は犠牲を、その尻拭いばかりさせられている。善き人々がそれでも頑張って生きてそれで世の中が廻っているのに政治家はそれが自分たちの手腕だと言い張る。僕にはそれを変える力も気概もない。
◆〈智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。〉心の師と仰ぐ夏目漱石の『草枕』の冒頭だ。自分を芸術の士だとか小説家という職業が尊いなどとは決して思ってはいないが、このい世の中が生きにくいものでしかないのなら、せめて物語で楽しく心安らかな時間を持ってほしい。生きる力を得てほしい。そう思いながら、物語を書き上げている。だから、ハッピーエンドしか書かないと決めている。幸せな結末を目指す物語しか、たぶん僕には書けない。
◆今も僕は必死であの下町に住む家族の物語を書いています(^_^;)。これを書き上げるまでは年末も正月もありませんが、書けることが幸せです。嬉しくてしょうがありません。
◆良いお年を! この言葉が大好きです。どんなに辛く厳しい一年であったとしても、生きて新年を迎えられる喜び。迎える来年への希望。それを皆で分かち合い確かめあう言葉だと思います。
◆今年一年本当にありがとうございました。皆様、良いお年を!

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