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Diary

毎日音楽と物語に囲まれて暮らしている2016年12月01日

◆曇りで雨が降ったり。coconut
◆何でも明日は爆弾低気圧がやってきて北海道は大荒れになるんだとか。まぁどうせ家に閉じこもって原稿書いているからいいんだけどさ。
◆何十回も書いているけど僕はミュージシャンになりたかったけど才能がまるでないなと気づいて諦めた男で、ギターもかれこれ三十年ぐらいまともに弾いていない。一時期はキーボードも買って弾いていたんだけどそれはもう伝説となった名器のYAMAHAのDX-7だ。押し入れの中でジャンク品になっている。だから、小説家として曲がりなりにも第一線で食ってる今でもミュージシャンに憧れる。
◆作家になって良かった! と最初に心底思ったのは、ミュージシャンである伊藤銀次さんが僕の本を読んでくれてサイトに書いてくれて、そこから「じゃあ会いましょう」となって東京で〈L⇔R〉の黒沢くんと三人で初めて会って六時間ぐらい話し込んだときだ。まさか自分が本物のプロのミュージシャンと音楽の話で盛り上がれるなんて思ってもみなかった。でも、話していて気づいたけど銀次さんも黒沢くんも僕のことを〈小説家〉としてリスペクトしてくれていたってことだった。つまり、僕は単純に音楽好きの素人の気持ちでいちゃいけない、ってこと。土俵は違えど同じプロの世界を歩む者同士という気持ちを持っていなきゃならないと気づかされた。それから僕は銀次さんの縁で佐野元春さんとも会って仕事ができたし、作詞家としての仕事もできた。ネットではバービーボーイズのイマサさんとも親しく話ができた。東京バンドワゴンで中山うりさんと対談したり〈踊ろうマチルダ〉とも音楽の話ができた。そうそう、JUJUさんとも対談した。Twitterで〈T字路s〉や〈忘れらんねぇよ〉や〈suzumoku〉とも縁が出来たな。作家になってたくさんのミュージシャンと知り合えて、いや本当に良かったなぁ運が良いなぁ俺って、と、幸せに思う(ライブにはなかなか行けないんだけどすみません皆様)。
◆その伊藤銀次さんの伝説のバンド〈ココナツバンク〉の新譜が写真。銀次さんご無沙汰しちゃってすみません。時間取れたら連絡します。
◆嬉しいことに、僕の作品を読んでいると音楽が聴こえてくるという感想をいただくことがある。本当に僕は音楽を聴きながら物語を書いている。むしろ音楽がないと書けないぐらいだ。妻は僕の部屋から音楽が聴こえ出すと「あ、書きだしたな」と思ってる。
◆毎日音楽と物語に囲まれて暮らしている。こんな幸せなことはないので、感謝の気持ちを込めて、皆さんに少しでも同じような幸せな時間を過ごせる小説を書いて届けようと思ってる。

行き方の舵になってくれたのは格好良い男たちだったのかもしれない。2016年11月29日

◆我が家近辺は大雪警報。eden
◆外出から帰ってきたらもう玄関の階段はスロープになっていた。およそ40センチぐらいは積もったんじゃないか。まぁそんなに珍しい量ってわけでもないがこの時期にこんなに積もるのはちょっとなー。渋滞で疲れまくっていたので雪かきは明日。明日の午前中は汗だくになること間違いなし。
◆親戚の弔いがあり、そこに幼い兄弟が。お兄ちゃんは小学高学年で弟はまだ二歳かそこら。ちょうどうちの二人の息子の年齢差と同じぐらいなので、仲良くしているのを微笑ましく見ていた。
◆僕は姉二人の三人姉弟で末っ子だった。〈きょうだい〉って不思議なもので、どのポジションで生まれるかでおおよそ性格が決まってくるんじゃないか。長男や長女はいかにもだし、次男や次女もいかにもだし、そして末っ子もいかにもだ。僕の周囲の友人たちを見ていても、大体長男長女はあんな感じだし、次男次女はそんな感じだ(^_^;)。
◆自分の性格なんてどうしてもフィルターがかかってたぶん自分では正確に把握できないんだろうけど、基本僕は小心者だと思う。慎重な性格と言い換えてもいい。姉二人が怒られるのを見ているので、なるべく怒られないように動くのが習い性になったんだろう。それと、命令されるのに慣れている(^_^;)。それと、外面がいいんだけど、これは姉の影響というより小路家の男のDNAかもしれない。親父も非常に外面が良く、そして二人の息子もどうやらそうみたいだ。まぁよく言えば社交性があるんだが。
◆性格は変えようがない。持って生まれたものと育った環境でほとんど決まってしまうんだろう。それによって生き方もある程度の幅に収まってしまうものなのかもしれない。でも、行き方は自分の心構えと努力で変えることができる。それは間違いない。
◆僕の行き方の舵になってくれたのは、自分の家にいない格好良い男たち、つまり兄のような存在の人たちだったのかもしれない。そう考えると幼い頃から格好良い俳優さんたちを好きになったのも頷ける。ジェームス・ディーンもその一人だった。
◆もう人生の半ばを過ぎたおっさんになっても、格好良い男たちに憧れる気持ちは変わっていないと思う。

シイラという魚を初めて知ったのはヘミングウェイの『老人と海』だった2016年11月26日

◆晴れたり曇ったり。穏やかな天気の日。moter
◆革命家、と呼ぶに相応しいフィデル・カストロが亡くなった。常に暗殺の対象にされながら天寿を全うしたというのだからやはりそういう星の元に生まれついた人だったんだろうか。
◆と、話題にしてはいるけど詳しいわけじゃない。僕の中のカストロ氏は小説やノンフィクションや映画の中に出てくる革命のシンボルとして存在した人物だ。思い入れも、それ以上でも以下でもない。同じく革命家であるチェ・ゲバラに多大なる、いやゲバラの人生を決定づけた人物としても有名だ。
◆チェ・ゲバラは好きだ。それも申し訳ないほど軟弱なことに、革命家や政治家として熱い人生を送ったゲバラではなく、その以前の若き日のゲバラを描いた『モーターサイクルダイアリーズ』の時代だ。本も映画もすごくいいので、ぜひ読んで、あるいは観てほしいと思う。
◆世界が、違う。日本とはまったく違う世界がそこにあるんだな、ということをそこにいなくても実感できる。僕はどちらかといえば日本文学より海外文学を多く読んできた人間なのだけど、その魅力もそこにあると思う。海外文学の中には大いなる世界が広がっている。むろん、現地で過ごした方がその魅力も酷さも身体と心で実感できるのだろうけど、想像力の翼はそれと同じぐらいのものを自分に与えてくれると思う。僕は音楽でアメリカやイギリスやフランスに触れてきたけれど、それ以上に、小説でありとあらゆる世界に触れることができたと思っている。
◆世界中の作家の本を読んでほしい。本当にそこには〈世界〉がある。映画でもいい。ハリウッドだけじゃ味わえない異文化がある。
◆そういえば〈シイラ〉という魚の名を初めて知ったのは中学のときに読んだアーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』だった。確かヘミングウェイはカストロと親しかったはずじゃないか。

きっと明日地球が終わるという日になっても2016年11月24日

◆曇ったり晴れたり。umiyorimomadafukaku
◆昨日からの雪が30センチほども積もって今季初の雪かき。久しぶりの雪かきはやはり疲れる。それにしても今年は雪が早い。まぁ早くても一度にたくさん降らなきゃいいんだけど。できれば少しずつ降って、雪かきに追われないゆったりとした雪の季節を過ごしたいものだ。
◆ほとんどの小説家はそうだと思うのだけど、不穏なことばかりを考えて毎日を過ごしている。ミステリ作家はもちろん「どうやって人を殺そうか」とか「死体の処理をどうするか」なんて考えるし、そこまで物騒でなくたって「不倫はどうだろう?」とか「そこはやはり夫に失踪してもらった方がいいか」なんてことを考えるのが常なのだ。
◆特に僕などはいろんなジャンルを書いているので何でもあり、だ。人も殺すし不倫はするし親と生き別れるしライブもやるしギャングも出るしタイムトラベルもするし怪獣も出るし宇宙人にも会うし魔法だって使う。そんなことばかり考えて毎日を過ごしている。考えるだけでお金を貰えるならそんな嬉しいことはないけれどそうはいかない。考えたことを今度は現実と折り合いをつけながら物語にしなきゃならない。夢想家の小説家は実はいちばん現実に精通していなきゃ、作品は書けない。夢の舞台は土台がしっかりしていなければすぐに崩れ落ちれしまうからだ。
◆どんなに悲惨な、どんなに非道な、どんなに悲しく辛いニュースが流れてきても、顔をしかめ犠牲者の冥福を祈った次の瞬間にはそれをネタとして考えてしまう。いったいこの事件の裏側にはどんなことがあったんだろう? と想像する。事実をドラマとして俯瞰して幾通りもの道筋を捉えてしまう。それが習い性になっている。親が死んでもいつかこれは自分の物語になると思ってしまうのだ。それを突き詰めた言葉にしてしまうと業というものになるんだろう。
◆きっと明日地球が終わるという日になっても、そこにはどんな人間たちのどんなドラマが待っているのかを幾通りも考える。小説家とはそんな人間なんだと思う。
◆あ、そうだね。世界が終わる日の物語もいつか書きたいと思ってるんだ。

わからないものはわからない2016年11月22日

◆曇り。静かな一日。momoe
◆わからないものはどうしたってわからない。と、いうもののひとつやふたつは人生五十年も生きていると出てくるものだと思う。僕の場合はアイドルに夢中になることだ。
◆思春期の頃、つまり中学生や高校生の頃アイドルはもういた。伝説の山口百恵さんや桜田淳子さんなどなどだ。ちょっと調べてみたら他にも南沙織、小柳ルミ子、アグネス・チャン、天地真理、麻丘めぐみ、あべ静江、木の内みどり、岩崎宏美、キャンディーズ、ピンクレディー、浅野ゆう子、岡田奈々、太田裕美、などなどなど(敬称略)。もう文字通り綺羅星の如くのアイドルが群雄割拠だった時代だ。もちろん彼女たちをテレビの歌番組で観ていたし、代表曲などはほとんど歌えるだろう。『年下の男の子』のフリもたぶんできるんじゃないかやったことないけど。
◆でも、アイドルに夢中になったことは一度もない。まぁ中学からギター抱えてミュージシャンになろうって思っていたから歌謡曲をバカにしていた部分もなきにしもあらずだけど、それにしたって思春期の男の子だ。それとは別な方向でアイドルに夢中になったって、夢中にならないまでも夜中にむにゃむにゃするとかあるだろうと今なら思うが、まったくなかった。まぁ好みは確かにあった。キャンディーズならミキちゃんがいちばんいいと思っていたはずだ確か。でも、これっぽっちも、興味なかった。
◆それは何故だろう? と考えたときに、既にその頃僕は二次元にしか興味なかったんじゃないかと。いや、今とはすこし違う意味で。つまり僕は少女マンガが大好きだった。ずっと読んでいた。僕にとって理想の女の子は少女マンガの中にしかいなかったんじゃないかと。
◆姉が二人いた影響もあるのかもしれない。テレビの中の虚像の女性ではなく本当の女なんてのはこうだぞ、というのを身をもって知っていたせいかもしれない。
◆もちろん人様の趣味にケチはつけない。アイドルに夢中になる人生もありだ。何かに夢中になれるってことは素晴らしいことはよく知っているつもりだ。むしろ可愛いアイドルに夢中になれなかったのは少し淋しかったかなと思うこともある。
◆今テレビなどで活躍しているアイドルはみんな子供か下手したら孫みたいな年齢の女の子ばかりだ。みんな可愛いし頑張っている姿を見ると応援したくなる気持ちもわかる。できれば皆幸せな一時期を過ごして、そしてその後にごく一部の人を除いてどうしたってやってくるであろう〈普通の人生〉をしっかりと生きてくれればなぁと思う。

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