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Diary

シングルベッドで夢とお前抱いてた頃2016年11月05日

◆雪が降って少し積もったけどこれは融けるやつ。sotugyou
◆つんく♂さんというアーティストがいる。特にファンではないが、その活動は知っている。シャ乱Qとしてデビューしてその後はモーニング娘。のプロデューサーなど、間違いなく日本の音楽芸能界で成功した人物だ。ボーカリストであり優れた作曲家でもあった彼が声を失ったというのは、想像したくないほどの悲劇だ。僕に当てはめるなら、突然全部の指が動かなくなったというようなことだろう。今も変わらぬ笑顔で活動するつんくさんは大したものだと思う。
◆とはいえ、失礼ながら繰り返すけど、特にファンではない。でも、一曲だけ心に残っている曲がある。『シングルベッド』という歌だ。初めて聴いたとき、〈シングルベッドで夢とお前抱いてた頃くだらないことだって二人で笑えたね〉という歌詞に、昔の思い出が一気に甦ってきた。
◆まだ十代の頃、シングルベッドのマットだけを部屋に置いていた。あの頃はそれが流行っていたんだ。知り合いがベッドマットをくれるというので、友達の普通のセダンで引き取りに行った。当然車の中になんか入らないので、屋根に乗せて窓を開けて紐を通してくくりつけて、窓から手を出してしっかり押さえながらゆっくり走って運んでいたら、当然のようにパトカーに止められた。地方から引っ越ししてきたばかりなんだと、お金がないから赤帽なんか頼めないからと若さの勢いでお巡りさんに必死に弁解して何とか許してもらってアパートの部屋まで運んだ。お巡りさんも苦笑いで許してくれたんだから思えば寛容な時代だった。
◆その狭いシングルベッドのマットで一緒に眠った人がいた。夜を過ごした。ただそれだけで幸せだった時期は確かにあった。将来への不安も悪い予感の欠けらも何にもなかった。
◆一緒にベッドマットを運んでくれた友人も、夜を過ごした人も、もう遠い思い出の中にしかいない。ふと思い出したなら、どうか今も元気でいてくれますようにと願うだけだ。
◆歌は、そういうものを思い起こさせてくれる。

いつまでその泥に蓋をしたステージで踊るつもりだい?2016年11月04日

◆今日も一日曇っていた。この時期はだいたいいつもこんな感じです。otonaha
◆レコードなんちゃらを一億円で買ったというのをぶんしゅんほうなんていうので記事になったとかで、それなのに各テレビ局や新聞は一切それに触れないとかなんとかでまたそういう話かよって。でも、あら、私たち庶民は何十年も前からその話は知っておりましたわよ。最優秀新人賞と最優秀歌唱賞とレコード大賞は大きな芸能事務所がお金で買うんでしょ? しかも毎年持ち回りで。誰に確認したわけじゃないけどみーんな言ってたわよ。
◆小芝居はこれぐらいにして、その手の話はたぶん僕が小学生ぐらい、つまり40年以上も前から言われていたことだ。どうしてそんなふうに言われるかって言うと、〈明らかにそうじゃない人が賞を獲っている〉からだ。で、テレビを観ながら大人たちは「どうせ金だろう。そんな世界さ」と言うわけだ。で、僕たち子供たちは「大人の世界はそういうものか」と思っていたわけだ。いやホントの話。
◆ありがたいことだ。幼い頃から僕たちはテレビで大人の世界を勉強させてもらっていたわけだから。お陰様でこんな時代になって初めて〈領収書〉というショッキングな具体的な証拠があげられてもまったく動揺せずに話題にもしないどころか次の瞬間には忘れて日々を過ごしていける。
◆つまりきれい事じゃあ大きな商売なんかやっていけない、っていうのが戦後ずっと綿々と受け継がれているわけだ。もはや伝統芸と表現しても差し支えないだろう。小説家としては非常にありがたい。何せ光と闇の両方がなければ僕らとしてもネタが確実に減ってしまう。噺家は世情のアラで飯を食い、と言ったのは誰だったか。小説家も同じようなものだ。
◆だからといって、怒りや憤りを忘れるわけじゃない。真っ当に生きる人たちの苦しみや悲しみをせめて慰めるために芸はある。私たち創作家の存在意義がある。小説も映画もマンガも落語も何もかもそうだ。ちゃんと働く人たちが真っ当に稼いだなけなしのお金で芸を買ってくれるから私たちは飯を食っていける。
◆音楽も、そうなんだぜ。お前たちはいつまでその泥に蓋をしたステージで踊るつもりだい?

ライフスタイルは変わる2016年11月03日

◆雪が降る。まだ積もることはないけれどね。brutas1
◆男であろうと女であろうと、考え方がころころ変わるっていうのはあんまりよろしくはない。いや臨機応変とか柔軟な姿勢とかそういう言い方をするならいいんだけどね。っていうか人間歳を取れば丸くなるっていうけど案外それは本当で、まぁ長い人生いろいろ変わって当然じゃないか。
◆雑誌〈BRUTUS〉が創刊されたのは1980年で僕は19歳だった。つまり、高校を卒業した年。そして時代はバブルへと向かっていく頃。〈ライフスタイル〉なんていう言葉が生まれたの雑誌からだった。〈POPEYE〉で既にファッションに目覚めていた僕らはこの〈BRUTUS〉で〈格好良いことは格好良い〉ことを知った。もろに影響を受けた。言葉で説明するとかなり気恥ずかしいがこの頃の僕らは朝起きるとまず熱いシャワーを浴びてそれからバシャバシャとボディウォーターなんかを使いシャワーコロンを振りかけ髪形を整えDCブランドの服なんかを着てでかけていったわけだ。自分のスタイルというものを模索しそれが身に付くようになろうとしたわけだ。何でもそうだけど一度習慣にするとそれはなかなか抜けない。使う化粧品やファッションはいろいろ変遷したけれども、バブルが弾けても結婚しても高い化粧品は使わなくなっても、朝の熱いシャワーは変えなかった。もう習慣になっていたからだ、浴びないとその日一日気分が悪かったからだ。
◆それが変わったのは、子供ができてから。何せ子供は毎日お風呂に入れなきゃならない。少し大きくなって一緒の湯船に入れるようになると、忙しいお母さんに代わって仕事から帰ってきたお父さんが入れるわけだ。で、そうやって毎晩子供とお風呂に入るようになると、朝起きて会社に行く前に熱いシャワーなんて「まぁいいか昨日お風呂に入ってるんだし」という気持ちになる。そもそも子供中心の生活になるから悠長にシャワーなんぞ浴びてる暇もなくなる。そして年を取ってくると一日の終りにゆっくり風呂に浸からないと疲れが取れないような気になってくる。実際取れないしヽ( ´ー`)ノ
◆かくて、毎日風呂に入らないと気が済まなくなってくるわけだ。お風呂入ろうとなるわけだ。風呂はいいよね。
◆お風呂入れよ!
◆歯も磨けよ!

だからff(フォルティシモ)は恥ずかしい2016年10月30日

◆曇り。そういえば一歩も外へ出なかった気がする日曜日。gen
◆そもそも曜日というものが自分の生活にほぼ関係なくなってしまっている。「でも編集者さんは土日がお休みでしょう?」と仰る向きもあるだろうが、僕もそう思うのだけど土日にメールをくれる仕事熱心な編集者さんは本当に多いのです。
◆閑話休題(それはさておき、という意味です)。今から30年以上も前の24歳のときだ。その年の僕は先輩と始めた喫茶店を閉めた。全然儲からなくてたった1年半の営業しかできなかった。それ以前にやっていた音楽関係の仕事も全部なくなり、つまり、完璧な無職になっていた。店を売ったお金はあったので当座の生活には困らないのだけど、24歳だ。「これから何をしよう」と、ある意味途方に暮れていた。バイトは、以前バイトしていた店に戻ればいつでも雇ってくれる。けれど、24歳だ。ミュージシャンへの道はとっくに才能がないことに気づき諦めていた。同級生たちはとっくに就職して立派な社会人として歩んでいる。それなのに、「俺は何をしたいんだ?」と、一人暮らしの部屋で毎晩の様に考えていたけど何も思いつかなかった。「自分には何ができるんだ?」。いくら問うても答えが出なくて、根がろくでなしとはいえさすがに気が滅入っていた。そんなときに、テレビの音楽番組から新曲が聴こえてきた。当時売れていた〈ハウンドドッグ〉の『ff(フォルティシモ)』だ。ワンコーラス聴いて、「なんてベタな歌詞とキャッチーなメロディだ」と思った。愛がすべてさいまこそ誓うよ〜愛を込めて強く強く〜♩と、大友さんがあのハスキーな声で歌っていた。随分だな、と、苦笑した。あの〈ハウンドドッグ〉がこんな媚びたような歌を出したのかと少し揶揄するような気にもなった。
◆ところが、気づくと目頭が熱くなっている自分に気づいた。「あれ?」と思った。胸に何かが込み上げてきた。〈言葉にならない胸の熱いたぎり、拳を固めろ叩きのめされても。激しくたかぶる夢を眠らせるな。あふれる思いをあきらめはしない〉。その歌詞が、僕の中の何かを揺さぶってしまった。
◆あぁそうか。そうだった。自分の好きなことをして生きていくんだった。そう思いだしてしまった。
◆「いやそれにしたってこの歌詞に感動したのか俺! そんなベッタベタな人間だったのか!」と、頭を抱え込んだが、しょうがない。ああぁそうさ感動してしまったんだよ。感動して、立ち直ってしまったんだよ。
◆だから、今でも『ff(フォルティシモ)』がどこかから流れてくると、恥ずかしくなってどこかへ隠れたくなる。
◆でも、良い曲だよ。
◆写真は何の関係もないけど、大好きなセルジュ・ゲンズブールもの。彼の生き方も、そう言うのは少し恥ずかしいが、大好きだ。

本当かどうかわからないけどおかしな話2016年10月28日

◆曇り。konosekai
◆どうにも調子が上がらない。少しばかり疲れているのかもしれないし、単にやる気が出ないのかもしれない。まぁもともとがろくでなしなのでたぶん後者の方だと思うんだが、このままだと年末に向けての修羅場を乗り切れなくなるのでなんとかせねばいかんと思ってる。
◆こうの史代さんのマンガ『この世界の片隅に』はまごうかたなき傑作だ。あのときの広島の、広島で生きて生き抜いた普通の人たちを描いたものとして後世に残さなければならないものだ。その『この世界の片隅に』が、情熱を持った監督やスタッフの皆さんの手でアニメになった。間違いなく傑作になっている。絶対に観る。
◆このアニメの主役の声を、能年玲奈さんこと〈のん〉さんがやっている。ドラマ『あまちゃん』でブレイクした女優さんだ。とても才能に満ち溢れた女優さんだと思う。しかし、事務所の移籍問題で本名であるはずの〈能年玲奈〉の名で女優活動ができずに〈のん〉として活動しているという。「?」である。何故本名なのにその名で活動できないのか。契約上の問題がある、という常套手段のようだけどてめぇらよってたかって若い娘をいじめて嬉しいのか変態か、である。さらになんでも能年玲奈さんが所属していたのは芸能界のドン的なグループの事務所で、このアニメに関してもほとんどのマスコミはスルーしているんだ、そうだ。逆らっちゃあ拙いってこと、らしい。もちろん本当かどうかは知りませんよ? ネットの噂でそう聞こえてくるってだけでです。しかしぐるりと見渡すと、確かに〈あの国民的人気の『あまちゃん』の能年ちゃんが主役の声をやってさらに原作マンガも傑作として名高いのにあまりにもテレビを始めとするマスコミの露出がないように思う〉ことは、確か。
◆本当かどうかわからないし確かめる手段もないし暇もない。自分のことで手一杯な狭量な作家である。でも、僕は〈のん〉こと能年玲奈さんの演技が好きだし『この世界の片隅に』を傑作だと思っている。映画館に観に行くし、DVDも買うだろう。そういうことだよ。

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