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Diary

僕の中の〈物語の人〉。樹木希林さん。2018年09月20日

◆晴れ。残暑の名残のような昼。
◆地震の影響は僕の身の回りではほぼなくなった(もちろん、いまだ被害に苦しんでいる方々はいらっしゃる)。余震も忘れた頃に若干あるがそれはもうしょうがない。近所のセイコーマートの棚もおおよそ平常時に戻っているし、節電も一応解除になった(でもこれからも節電はしていこう)。流通にまだ若干の遅れはあるようだから、落ち着いたら、冬になる前に震災グッズの見直しをしようと思う。この国に住んでいる以上は、地震は避けられないのだから。
◆樹木希林さんがお亡くなりになった。ご病気の様子から覚悟はしていたものの、喪失感が本当に大きい。まだ前の芸名である悠木千帆さんの頃から、その演技は際立っていた。そして『寺内貫太郎一家』での祖母役は本当に凄かった。まだ三十代だったのに、お祖母さん役だ。ホームドラマの中のコメディリリーフとしての役割を十二分に、存分に果たしていた。存在感を際立たせていた。あのドラマはとりもなおさず〈東亰バンドワゴン〉を練る際にベースにしたドラマだけど、それも樹木希林さんの演技があってこそ僕の中にしっかりと根付いていたからだ。是枝監督の『歩いても歩いても』『海よりもまだ深く』の母親役も忘れられない。本当に、本当に、唯一無二の女優さんだった。軽みと凄みを同時にその身の内に抱えそれを表現できた演技者だった。樹木希林さんがいたから、僕の中に何人、何十人もの〈物語の中の女性〉が存在している。本当に、ありがとうございました。
◆物語を書くときに、特定の俳優さんを思い浮かべることは一切ない。ただ、僕の中に何十人何百人もの〈物語の登場人物〉がいるのを、作家になってから感じることができる。それは今まで観てきた映画やドラマで俳優さんたちが演じてきた〈人間〉だ。その人たちの人生が僕の中にずっと存在している。だから、僕は物語のアイデアを思いついたらすぐさまそれにピッタリの登場人物たちを〈キャスティング〉できる。あの映画のあの俳優が演じた役、ではなくて〈どこかで出会ってよく知っている人〉として思い浮かべることができる。そういう意味で、小説家小路幸也を作ってくれているのは、映画やドラマだとも言える。傲岸不遜を承知で言えば僕の〈台詞回し〉はどんな小説家より、脚本家よりも上手いと自負している。それは全部、映画やドラマで活躍してきた俳優さんに育てられたものだと思っている。
◆幼い頃から大好きだった俳優さんたちが、旅立っていく。そういう年齢になってしまった。自分もいつ旅立つかわからない。向こうで会えたときに、少しは胸を張って「頑張りました」と言えるようにしよう。頑張ろう。いい物語を書こう。たくさんの俳優さんに育ててもらったこの感覚で。

『花咲小路三丁目北角のすばるちゃん』が出ます。2018年09月14日

◆晴れ。夏日になったので残暑でざんしょ。
◆今日ぐらいから発売になっている単行本新刊、〈花咲小路シリーズ〉第五弾『花咲小路三丁目北角のすばるちゃん』(ポプラ社)の見本が届きました。震災の影響で荷物を届けるのをちょっと待ってもらっていたのです。今回もとても良い装幀ですね。本当にこのシリーズの装幀は好きです。
◆いつの間にか五冊目になってしまいました。〈花咲小路商店街〉にはまだたくさんお店があるのですが、今回は商店街の通りにはないんだけど、その裏側にある〈駐車場〉が舞台です。〈カーポート・ウィート〉というのが名前で、そこの主はこの春に高校を卒業したばかりの〈麦屋すばる〉です。かつてここにあった〈麦屋車体工業〉という自動車整備工場で生まれ育った子供です。祖父と父に育てられた抜群の運転技術を持つカワイイ男の子なのですが、祖父も父も既に亡く、祖父が孫の生きる術にと自分の工場を駐車場にしたのです。ですから、家族を全部亡くして一人になってしまったすばるが〈カーポート・ウィート〉の社長なのです。淋しい身の上ですが、〈すばるちゃん〉と商店街の皆に呼ばれ可愛がられて皆に見守られて育ってきたすばるは、商店街の皆への恩返しと、〈花咲小路商店街〉唯一の専用駐車場としてやっているのです。
◆もちろん普通の駐車場としても営業していますが、車を止めるのは大体が商店街に用のある人ばかりです。ごく普通に車を止めて、ごく普通に帰っていく人がほとんどですが、中には〈なんだか危なそうな、いや怪しそうな〉車がやってきて止めていくこともあるのですが……。
◆駐車場の看板代わりに停めてあるのは真っ赤なシトロエンのバンで実はここが文字通り〈すばるちゃん〉の個人宅でもあるのですが、このシトロエンのバンにも、絶対に他人には言えない秘密があります。それは……。
◆という感じのお話です。すばるちゃんと、駐車場の隣にある質屋の娘で幼なじみの〈田沼瑠夏〉、そして〈花咲小路商店街〉のお馴染のメンバーももちろんたくさん登場します。愉しんでいただけたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
◆そしてポプラ社さんの〈asta*〉では〈花咲小路シリーズ〉第六弾『花咲小路一丁目の髪結いの亭主』も始まっています。こちらもよろしければお願いします。

普通の生活を送ること2018年09月09日

◆晴れ後曇り。随分と気温が低くなってきた。窓は開けられない。
◆タイミングが良かったと言うのは語弊があるけれども、地震の日は気温が高くて良かった。
◆震源地や規模の大きかったところをのぞけば、道内全域で普通の日々が戻りつつある。余震はまだあるけれどもそもそもいつ来るかわからないっていうのは身にしみているから震度2や3ぐらいではいちいち騒いだりはしない。
◆もう4日間一切買い物に行っていないけど、初老の夫婦の二人暮らしだから食材にはまるで困っていない。普段から冷凍ご飯はあるし食パンも買い置きで冷凍してある。うちの停電時間は確か16〜7時間ほどだったはずで冷蔵庫の野菜も大丈夫だったし、冷凍食品も概ね溶けずに済んだ。一部怪しいものを毎日順番に食べているので、買い物に行く必要もない。妻が普段からきちんと食材を常備・保存できる人で料理上手で良かったとつくづく思う。
◆近所のコンビニであるセイコーマートを二度見に行ったぐらいだけど、また乳製品や生鮮食品や冷凍食品はほとんど流通に戻っていない。少しずつ復活しているようだけど、何もかも元通りになるにはまだしばらくはかかるのではないだろうか。それも生産者の方々や流通業者の方々が一生懸命やってくれているはずだ。我慢して待てばいい。
◆ちょっとだけ困っているのは牛乳がないので、手作りヨーグルトが切れるかもしれないってことだ。いつも種に牛乳を注ぎ足して作っているのだけど、明日辺りでなくなってしまう。それはまぁ、そうなったら違う手段を考える。
◆買い物が不便である以外は、普通のいつもの暮らしがすっかり戻ってきている。きっと明日から近所の小学校も始まるんじゃないだろうか。
◆毎日の仕事があり、明日のご飯の心配をしないで毎日を暮らしていけることが〈普通の生活〉だろう。その中で苦しいことや悲しい別れや辛い出来事はいくらでも起こっていくだろうけど、それでもきちんと働いてご飯を食べていけるのは幸せということだ。その幸せを噛みしめることができるのも、普通の生活に襲いかかる普通ではない出来事があるからだろう。〈禍福は糾える縄の如し〉という故事はこの年になるとしみじみ感じることができる。
◆もちろん、仕事が不安定で明日の米の心配をしている人たちがいつの時代もいることは承知している。正直、僕にもそういう時期があった。
◆『その不平等を嘆いていても何も生まれてこない。幸せを噛みしめて、そうではない人たちのために何が出来るか。何も出来ないまでもどう生きるべきか。何かを得た人間は、その得たものをどう使うかで値打ちが決まる』。〈東京バンドワゴン〉の勘一の父、堀田草平に語らせた言葉です。

その日の様子です2018年09月07日

◆晴れ。夜になって急に涼しくなってくる。
◆〈北海道胆振東部地震〉と名付けられたようです。その日の夜は台風が通り過ぎ(大した被害もなく)いつも通り締切りに追われて原稿を書いていました。翌日の朝には送らなきゃならなかったんですけど午前2:30ぐらいにもうダメで「後は起きてから仕上げよう……」と眠りに就きました。実質一時間も寝ていなかったと思います。記憶では緊急地震速報と同時に突き上げた後に激しい左右揺れが来ました。僕の部屋で何かが落ちた音が聞こえ、起き上がって安全確認の行動をしようと思ったけど、余りに激しい揺れに立てず動けず何も倒れてこない位置(寝室の真ん中がそうです)に妻と二人でじっとしているのが精一杯でした。けれども、その揺れもおそらくは一分も続かなかったと思います。収まると同時にラジオを点け、スマホを確認します。
「でかいな」
◆すぐさまパジャマから外に出られる服に着替え持ち出す貴重品をバッグに入れ玄関に置き、テレビを点けました。その時点では停電はしていませんでした。部屋を確認すると本がなだれを起こしていたり移動式本棚が動いていたりはしましたけど、大きな被害はありません。水も出ていました。懐中電灯を持って外の被害を確認するために出ようとしたとき、停電になりました。そのままプロパンガスや灯油タンクの点検をして見た目には問題ないこと、灯油やガスの匂いなども周囲からしないことを確認して戻ると、妻は飲料水をいろんなものに溜めていました。
◆あたりまえですけど余震が続いていたのでもう寝ることもできません。ラジオからの情報を聞きながら、防災グッズから手回し充電できるラジオやライトや飲料水袋などを出します。電池も揃えました。妻は冷蔵庫の氷を袋に詰めて冷蔵庫に入れ直していました。それで冷蔵庫の中が冷えるそうです。二人ともスマホの充電が半分ぐらいになっていたので、まずはこれを何とかしようと、夜が明け出すのを待って車に乗りエンジンをかけ、専用ケーブルで充電しました。その間車のカーナビテレビで情報を集めながら同時に持ち込んだラジオも聴いていました。思った以上に大きな地震に驚いていました。充電完了したところで家に戻り、念のためにお風呂の残り湯を使いトイレの準備をします。流せるようにバケツに水を汲んでおくのです。顔を洗い、ガスが使えるのでお湯を沸かしコーヒーを入れて朝ご飯。「とりあえず水が出るしガスもあるしなんとかなるか」と話していたら、そこで断水になりました。
◆後はもう、復旧を待つしかありません。夜が開けたことや朝食を食べたことで気持ちが少し落ち着き、僕はあげなきゃならない原稿をMacBook Proをバッテリー駆動させて書き、上がったらモバイルルーターを起動させてメールで送ります。妻は、息子や、母や、姉や、あちこちに電話やLINEで生存確認や安全確認をします。一通り終わるとすることがありません。原稿を書くにはMacBook Proのバッテリーがもたないからです。何が起こるかわからないので、最後までバッテリー切れは避けたかったのです。この時期で良かったです。何たって気温が高く外でぼーっとするのが気持ちよいのですから。何もすることがないのでひたすら手回し充電のラジオを回して情報収集していました。玄関の階段に座って煙草を吸い、お隣さんやお向かいさんたちと「大丈夫だった?」と話し合い元気づけあい、暗くなる前に晩ご飯を食べます。洗い物もできないのでそのままにして、暗くなったら妻と二人で順番で手回し充電でライトを点けラジオを聴いていました。このまま電気も水道も復旧しないようなら、一人暮らしの義母が心配なのでそちらに移動しようか、などと話していました。夜の八時過ぎだったでしょうか。水道を確認すると少し水が出ました。「おっ」と思いサイトで確認すると、間もなく復旧の情報が確認でき、その後一時間もしないうちに水がほぼ通常通りに出だしました。
「これなら何とかなるかな」
◆水道の確保ができるなら、ガスは生きているのでご飯を普通に作れます。電気を我慢すればいいだけです。人間顔を洗って水が飲めてご飯を食べれれば元気が出ます。良かった良かったと言い合い、また手回し充電ライトとラジオをずっと妻と二人で回して充電しながら聴いていて、僕は「原稿どうしようかなー。このまま休むかなー、書けないしなー、理由になるなー」などと不埒な考えを起こしたときです。軽い電子音がして電気が点きました。
「やったー! ほくでんさんありがとう!」
◆日常生活では日ハムの野球を観に行って点が入ったときにしかしないハイタッチを妻としました。
◆そこから先は、節電と節水を確認して後片づけです。幸い冷蔵庫の中身はほぼ無事でした。緊急持ち出しカバンや手回しラジオなどは念のためにそのまま置いておきます(今も置いてあります)。お風呂は節約のために今夜に回しました。いつも通りの夜になり、原稿を書けると思ったものの、さすがに一時間ちょっとの睡眠しかとれていなかったので早めに就寝しました。余震は続いていたものの、大きなものは一度か二度ぐらいでした。
◆何より役に立ったのは手回し充電のラジオとライトです。何もできないのでぐるぐる回していることが暇つぶしにもちょっとしたエクササイズにも(^_^;)なります。僕はハンドルぐるぐる回しながらスクワットなんかしていました。ただ、少し古い型だったのでスマホの充電ができなかったんですよね。車でできたけど、それも手回しラジオやライトで充電できたら本当に助かると思いました。スマホの充電機器が新しくなる度にそれも買い替えた方がいいですね。
◆細かな情報が得られるラジオ放送にも本当に救われました。自分たちも大変なのにずっと放送してくれているラジオ局スタッフの皆さんに感謝です。
◆何よりも、慌てないことと普段の準備が本当に肝心だと思いました。用意してあった防災グッズが役立ちました。普段から車のガソリンは常に満タン近くまで入れておくことを心がけていたのでこれも助かりました。お風呂の残り湯も(毎日入りますが)ギリギリまで取っておいているのでこれも使えました。食べ物も米さえあれば何とかなる、と思えば慌てて買いにいかなくても大丈夫です。
◆北海道はまだ停電が続いているところも多いです。そして関西方面で台風の被害に遭われた方々もまだたくさんいらっしゃいます。がんばりましょう。そして、天災の多い国に住んでいるのですから、普段から準備して、いざというときには困ったときにはお互い様という気持ちで助け合いましょう。

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