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Diary

しておいた方がいいこと2016年10月24日

◆雪がちらついたり。standbyme
◆いよいよ本格的な冬支度をしなきゃならない。まだ雪が積もるのは、つまり根雪になるのは先だけどタイヤも明日換えるよ。北海道は冬の女神の手に包まれようとしています。
◆札幌北高というところの図書局に招かれて、本好きの生徒さんの前で話をしてきた。講演というほど長いものじゃない。放課後の一時間ほど小説家の話を聞く、というものだ。何度も言ってるけど僕は喋るのは得意だ。一時間でも二時間でも話していられるし、長く講師をやってきたのでそれだけのネタもある。
◆今回は軽く〈物語〉についての話をして、その後は質疑応答にした。「何でも訊いて、答えられるものなら答えるよ」という深夜食堂スタイルだ(違う)。
◆ある生徒が「読んでおいた方がいい本ってありますか?」と訊いてきた。これはもう「読んでおいたいい本なんかないです」と答えておいた。「あなたがどんな形でもいいから、少しでも興味を持って読みたいと思ったら、その本を読んでください。小説に限らずマンガでも映画でも何でもそうです」と。そこから、世界が広がっていくものだ。
◆その生徒はこうも続けた「高校生のうちにしておいた方がいいことってありますか?」と。ちょっと残り時間もなかったので、これも即座に答えた。「ないです。自分が興味を持ったことをしてください。何もないなら、勉強してください。もしも今真面目に勉強していないなら、間違いなく後で後悔します」と。もっとちゃんと答えようと思うとおっさんの説教臭くなる。僕が高校生の頃にいちばんイヤだったものは大人の話だ。大人なんか信用できないと思っていた。だから、自分が生徒のときに何を決めたか教えてあげた。「僕は高校に入る前に、自分の好きなことだけやって生きようと決めて、今まで来ました」と。でもそれはあくまでも僕の思いだ。年長者のアドバイスでも何でもない。
◆もう一度ここで答えてみる。〈高校生のうちにしておいた方がいいこと〉は、月並み過ぎてアドバイスにもならないかもしれないけど、「勉強以外で、というなら、友達と遊んでください」だ。中学や高校の頃の思い出は、友人たちとのことばかりだ。それしか、ない。そしてそれは、僕の人生を支えてくれている。だからきっと君の人生も支えてくれるはずだ。なので、友達と遊んでください。
◆友達なんかいない、と言うなら、しょうがない。友達との思い出の代わりに将来の君を支えてくれるであろう、何かに夢中になってください。それは、物語でもいいかもしれない。君が夢中になって何回も読んだり観たりした〈物語〉は、大人になって淋しいときや辛いときの君を支えてくれるはずだ。絶対に。間違いなく。
◆小説家の僕が保証する。

君への手紙2016年10月23日

◆雨が降ったり風が吹いたり寒い一日。kimihenotegami
◆オッケー僕はもう五十過ぎたおっさんで小説家だ。それだけでももう君には僕の言葉なんか届かないかもしれない。つまり僕は今の段階で既にこのくそったれな国で長い人生を生き抜いてきた(ある程度とはいえ)成功者だからだ。つまり、強い人間だからだ。強い人間の言葉なんか聞いたってしょうがないと君は思っているかもしれない。自分の気持ちなんかわかってもらえるはずがないと考えているかもしれない。
◆それでも僕は君に手紙を書く。届かないかもしれない手紙をだ。どうしてかって言うと、簡単な話だ。僕は子供が好きだからだ。変な意味じゃないよ。そんな気はないから安心してくれ。どうして好きかって言うと、僕は今も子供のままだからさ。心が子供のままだから、君たちのことを仲間みたいに思っちゃって、好きなんだ。
◆おかしいだろ? こんなおっさんが、心が子供のままだなんて。笑えるし気持ち悪いよな。
◆でも、そうなんだ。僕の心は今も10歳の頃や、13歳の頃や、17歳の頃や、なんだったらもう子供とは言えない22歳の頃までいつでも戻れるんだ。何を言いたいかわからないって言うんだろ。つまり、今君が押しつぶされそうになっている恐れや苦しみや悩みや悲しみを、消してしまわなくていいってことさ。全部持っていける。持っていったまま生きていけるってことだ。現に僕はそうして今も生きているんだ。それらから逃げるために死ななくていいってことを言いたいんだ。
◆心が強かったんだろうって? 環境に恵まれていたんだろうって? 君にそんなことがどうしてわかるんだい? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。人の心なんかわからないし、そもそも自分のことだって人間はいろいろわかっていない。誰も何もわからないんだ。わからないまま生きていく。明日僕は死ぬかもしれない。事故や地震や雷や突然死や、いきなりわけもわからず死んでしまう可能性なんかこの世に生きている人に全部ある。
◆あるんだ。この間、僕の友人は突然死んでしまった。この世に神も仏もないもんかって思ったよ。
◆そう、神様は意地悪なんだ。だから、そんな神様に、中指おっ立ててファックユー! って言ってやるために、生きようぜ。そういうのはけっこうイイかもって思わないかい?
◆生きていこうぜ。神様の気紛れで魂を持っていかれちまうそのときまでさ。

〈同じ名を持つ漫画家と小説家〉。小路啓之さんへ2016年10月22日

◆曇り。少し寒い日。shojihiroyuki
◆どうにも信じられない。漫画家の小路啓之さんの事故死のニュースが飛び込んできた。小路啓之さんとは、同じ名字を持つ漫画家と小説家としてネットで知り合った。お互いに「親戚以外で同じ名字の人に会うのは初めてだ!」と子供のように喜んでしまった。しかも、同じ創作の場に立つものとして。大阪と北海道と離れたところで活動していたし、デビューの頃だったのでお互いに貧乏で会えることはなかった。それでもメールでいつか売れに売れて会えたらいいねと話していた。一時期、小路啓之さんは連載を切られたりして、鬱の気に囚われ、連絡が取れなくなった。彼のメアドも消えた。心配していたのだけど、数年経ってまた彼は連載を持つことができて、僕たちの関係も復活した。それからは、啓之さんの漫画のヒトコマに僕の習字を載せたり、僕が原作を書いて啓之さんさんが作画したマンガも某誌に掲載した。東京で会って、いろんなことを話した。普段は年賀状とTwitterでのやりとりしかなかったのだけど、いつかまた東京で会って遊ぼうと話していた。ずっと、〈同じ名を持つ漫画家と小説家〉として頑張っていけると思っていた。
◆突然の事故死。啓之さんは僕よりもずっと若かった。お子さんも、まだ小さいはずだ。僕の『東亰バンドワゴン』のドラマをお子さんが観てくれておもしろいと言っていた、とメールを送ってくれた。自分もいつかアニメ化やドラマ化されるマンガを描いてみせると言っていた。いつか、ご家族にも会いたかった。同じ名字だから、親戚のように付き合っていけるんじゃないかと思っていた。
◆また僕の原作でマンガを描いてよ、と頼んでいた。「ゼッタイ描きますよ!」と笑っていた彼の顔を覚えている。僕のことを「アニキ!」と、冗談めかして呼んでくれた。いつか向こうで、会おう。原作を持っていくから、二人でおもしろいマンガを創ろう。
◆遙か北の地から、ただ安らかにと願うことしかできない。小路啓之くんのことを、忘れない。

誇りの報酬2016年10月20日

◆雷雨だったり強風だったり雪が降ったりしてもう忙しい天気。42
◆札幌市内では初雪が観測されて「あぁついに降っちゃったね」という感じだ。我が家近辺では降っていないようだけどひょっとしたら今窓の外では降っているかもしれない。冬将軍が到着しましたよ。まぁまだ積もるのはしばらく先だけどね。それこそホワイトクリスマスにならない年だってあったんだから。
◆一般の人たちがネットで炎上やクレームで騒がせ、自治体や企業やその他諸々が何かしらの対応に追われる、という図がなんかもう毎日のように起こる今日この頃だ。それがあたりまえのように、スタンダードになってしまった感さえある。これに関して何か意見を言おうとすると、言葉を慎重に選ばなきゃならない。それぞれのケースで〈善きケース〉と〈悪しきケース〉があるからだ。
◆ただ、いちばんの問題は、もうストレートに言っちゃうけど〈どっちにも馬鹿が多過ぎる〉ってとこだ。詳しくは説明しない。するのも疲れる。善き人たちならばこれだけで「そうだね」と納得してくれるはずだ。
◆しっかり考えよう。ちゃんと確かめよう。自分の意見を持とう。人の意見を聞こう。問題が起きたら話し合おう。お互いにお互いのことを考えてあげよう。間違ったことをしたら素直に謝ろう。人の過ちを許してあげよう。幼稚園や小学校で教えてもらってることなのにいい大人が何故できない。
◆僕はゲームシナリオライターとして活動したこともある。広告のプランナーとしても働いた。学生に教えたこともある。ゲームプランニングの講義をしていて、仕事の基本として教えたのは〈どこからどう突っ込まれてもいいわけができるようなプランニングをしろ〉ってことだ。いいわけ、というのは少し悪い表現だけど、あらゆる方向からそのプランニングを検証しろということだ。つまり、最終的には、〈自分の企画に誇りを持て。胸を張って発表できるようにしろ〉ってことだ。もちろん、簡単にできることじゃない。でも、そこを目指さないといいものなんか作れない。
◆今の時代、〈誇り〉という言葉が、それこそ埃を被ってしまっているんじゃないか。

年寄りは影を抱いて未来に夢と希望を見る2016年10月18日

◆晴れ。良い天気。ex
◆雪虫も飛んだという話を聞いた。今週中にはひょっとしたら初雪が観測されるかもしれない北海道。まぁいつものことだからなんとも思わないけど、ついに雪の季節がやってくるかぁ、と。積もるのはまだまだ先の話だけどね。
◆実家のある旭川市へ車で往復することが増えている。今までは盆と正月に帰るぐらいだったけど、これからはその回数がもっと増えるだろう。そして、実家に泊まることはなくなるだろう。毎年、大晦日と正月は実家で過ごしていたけれど、今年から自宅で過ごすことになるだろう。年老いた母はもう実家で一人暮らしができなくなってしまったからだ。別の場所で過ごすことになったからだ。
◆それぞれのご家庭で、様々な形があるだろう。いろいろな考え方や事情があるだろうけど、我が家もかつての家族がこれからまだ続く人生でそれぞれにベターな形を選択していく。決してベストではないだろうしそもそもベストの形で過ごせなくなったから、そうなっていく。
◆未来はもう来ている。たとえば眼が見えなくなってしまった人でも眼球をレンズにして電子デバイスにする技術。かつてはSFの中でサイボーグと呼ばれるような技術はもうある。それが、一般的になっていればまだ母はもう少しベストな形で家族と過ごせたかもしれないのだけど。ないものねだりをしてもしょうがない。
◆我が家だって、もう家族はバラバラだ。息子たちは住民票を移してそれぞれの土地で一人暮らしをしている。自分にとってベストと思える選択をこれからも続けていくだろう。残った僕たち夫婦もそうだ。まだ続く人生を、自らの歩むべき道を選択し続けていく。
◆夢と希望はいつだって胸の中にある。今も、ある。ただ、若いときと違うのは、その夢を選ぶときに、その希望を叶えるときに、犠牲にしなきゃならないものがあるってことを十二分に知っているってことだ。今までそういう経験をずっとしてきたのだから。
◆人生は、まだ未来へと続く。年寄りは影を抱いて未来に夢と希望を見る。未来に夢と希望を見なきゃどこで見るって言うんだ。

 

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