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Diary

シン・ゴジラもう一度2016年08月03日

◆今日も暑く湿度は高かった。singozilla_sashikae2
◆映画『シン・ゴジラ』についてどうしてももう一度話したくなったので書く。
◆もちろん私は今55歳でど真ん中の〈怪獣で育った世代〉だが、まさか、50半ばにして、怪獣映画で泣かされるとは、震撼させられるとは、本気で恐怖させられるとは、心の底から「傑作だ!」と叫びたくなるとは露程も思っていなかった。
◆少し昔話をする。僕は製紙工場の社宅で生まれて育った。今も旭川市で操業し続ける巨大な製紙工場だ。敷地も広大で、工場のすぐ近くに、本当に目と鼻の先にたくさんの社宅が並んでいた(これはデビュー作で描いた)。そのひとつに、住んでいた。だから、大工場は日常の風景だった。その中で、いつも畏敬の念を抱かされたのは、〈夜の工場〉だ。幼稚園に入る前の話だから〈夜の工場〉を見る機会などほとんどない。けれども、何かの折りに見る機会が訪れた。
◆そこには天に届くかと思うような屹立する巨大な煙突が何本も昼間とは違う顔を見せて立っていた。その煙突からは24時間白や灰色の煙がもくもくと立ち上っていた。立ち上るという表現が大人しいほどだ。風が強い日などは煙突からの煙でその煙突や大工場自体が煙で隠れてしまうこともあった。
◆想像してほしい。夜の闇の中で赤や黄色の光があちこちに灯る大工場と巨大な煙突が何本も煙の中に溶け込み風が吹くとその威容を現すのだ。それを、幼稚園の男の子が見るのだ。まさに、「怪獣みたいだ」と、幼い私は思った。怖かったけど、いつまでもいつまでも見つめていたかった。怖いのに目が離せなかった。煙に見え隠れする巨大な煙突を見上げていた。
◆『シン・ゴジラ』は、まさにそのときの自分を思い出させてくれた。50年分のいくつもの震災の悲劇の記憶の蓄積とともに浮かび上がる感情と一緒に。怖いのだ。怖いのに眼が離せないのだ。凄い、と、心の底から畏怖するのだ。
◆思えば、日本人ははるか昔から地震や台風や火山という〈荒ぶる神〉と共に暮らしてきた。いつやってくるかわからないその〈荒ぶる神〉に暮らしをずたずたにされながらも、その都度立ち上がり、この日本という地で生きてきたのだ。そういう思いにまで『シン・ゴジラ』は浸らせてくれる。

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