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Diary

父が行きたかった〈ここではないどこか〉2016年03月19日

◆小雨混じりの天気。でも気温は低くない。むしろ雪解けが進む雨。vivian
◆父親に影響を受けたかという話をすると、僕たち子供を育てるために地味できつい仕事を一生やり遂げてくれた父を男として尊敬はしているが、幼少から少年青年へと進む時期に親父から何かしら影響を受けたというとまったくなかった。そもそも中学時代にミュージシャンになろうと決めたような男だから、趣味といえばたまにする麻雀ぐらいで他に何もない無趣味で無教養で学歴もないブルーカラーの父親など鼻にも掛けなかった。つまらない男なんだと思っていた。
◆ただ、断片的に話してくれた父親になる前の〈一人の男〉としての亡父のことを考えると、そこにはやはり自分のルーツとなる何かがあったんだなと思える。〈若い頃陸王と呼ばれたバイクに乗って日本中を回ろうとしていた〉〈新聞社の設立に奔走したり杜氏をしたり興味の赴くままに仕事を変えていた〉。その辺りはもう明らかに僕と同じ方向性を持った男の姿だ。そして、僕が物心ついたときから父は繰り返し言っていた。〈何をしてもいいが、俺みたいな仕事はするな〉。その言葉はまるで人生の敗北者のように思えて「絶対父みたいなブルーカラーのサラリーマンにはならない」と決めた。小学生の卒業文集には〈フリーのカメラマン〉になると書いたぐらいだ。
◆でも、その言葉の真意は「お前は遠くへ行け」という意味合いだったんじゃないかと、今になれば思える。きっと父は〈ここではないどこか〉へ、遠くへ行きたかった男なのだ。僕が産まれたときにその名前を〈我南人〉と付けようとした。〈東京バンドワゴン〉の我南人の名前は実は父が僕に付けようとした名前だ。母親の反対にあって断念したが、その名前には遠い南の国へ行きたかった自分の思いが込められていた。北の地で家族を作りそこで一生を終えると決めた父親だったが、その胸の奥には若い頃からずっと〈遠くへ行きたい〉という思いを秘めていたんだろう。それを、息子である僕に託したかったんだろう。だからこその〈俺みたいな仕事はするな〉という言葉だったんじゃないかと思う。
◆息子である僕は相変わらず南ではなく北の地にいるが、〈ここではない、どこへでも行ける〉ものを職業にした。文字通り誰にも縛られずにいつ何時どこへでも行けるし、空想の翼で日本だろうと海外だろうとどこでも舞台にして自分の物語を作り出すことができる日々を過ごしている。少しは親父の思いに応えられたんじゃないかと思う。あるいは、親父の夢を叶えてやったんじゃないかと。
◆いつか向こうで親父と会えたときに、渡すことのできなかった僕の本を全部見せてやろうと思う。これだけの〈ここではないどこか〉を旅して来たんだぜ、と。

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