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Diary

普通の生活を送ること2018年09月09日

◆晴れ後曇り。随分と気温が低くなってきた。窓は開けられない。
◆タイミングが良かったと言うのは語弊があるけれども、地震の日は気温が高くて良かった。
◆震源地や規模の大きかったところをのぞけば、道内全域で普通の日々が戻りつつある。余震はまだあるけれどもそもそもいつ来るかわからないっていうのは身にしみているから震度2や3ぐらいではいちいち騒いだりはしない。
◆もう4日間一切買い物に行っていないけど、初老の夫婦の二人暮らしだから食材にはまるで困っていない。普段から冷凍ご飯はあるし食パンも買い置きで冷凍してある。うちの停電時間は確か16〜7時間ほどだったはずで冷蔵庫の野菜も大丈夫だったし、冷凍食品も概ね溶けずに済んだ。一部怪しいものを毎日順番に食べているので、買い物に行く必要もない。妻が普段からきちんと食材を常備・保存できる人で料理上手で良かったとつくづく思う。
◆近所のコンビニであるセイコーマートを二度見に行ったぐらいだけど、また乳製品や生鮮食品や冷凍食品はほとんど流通に戻っていない。少しずつ復活しているようだけど、何もかも元通りになるにはまだしばらくはかかるのではないだろうか。それも生産者の方々や流通業者の方々が一生懸命やってくれているはずだ。我慢して待てばいい。
◆ちょっとだけ困っているのは牛乳がないので、手作りヨーグルトが切れるかもしれないってことだ。いつも種に牛乳を注ぎ足して作っているのだけど、明日辺りでなくなってしまう。それはまぁ、そうなったら違う手段を考える。
◆買い物が不便である以外は、普通のいつもの暮らしがすっかり戻ってきている。きっと明日から近所の小学校も始まるんじゃないだろうか。
◆毎日の仕事があり、明日のご飯の心配をしないで毎日を暮らしていけることが〈普通の生活〉だろう。その中で苦しいことや悲しい別れや辛い出来事はいくらでも起こっていくだろうけど、それでもきちんと働いてご飯を食べていけるのは幸せということだ。その幸せを噛みしめることができるのも、普通の生活に襲いかかる普通ではない出来事があるからだろう。〈禍福は糾える縄の如し〉という故事はこの年になるとしみじみ感じることができる。
◆もちろん、仕事が不安定で明日の米の心配をしている人たちがいつの時代もいることは承知している。正直、僕にもそういう時期があった。
◆『その不平等を嘆いていても何も生まれてこない。幸せを噛みしめて、そうではない人たちのために何が出来るか。何も出来ないまでもどう生きるべきか。何かを得た人間は、その得たものをどう使うかで値打ちが決まる』。〈東京バンドワゴン〉の勘一の父、堀田草平に語らせた言葉です。

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