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Diary

泪橋を渡って荒野を抜けて海を泳げ2017年03月17日

◆晴れ。少し風が冷たいけどもう空気は春の色を帯びている。
〈T字路s〉を初めて聴いたのは札幌のライブハウスでだった。友達になれたミュージシャンである〈踊ろうマチルダ〉を聴きに行って、そこでマチルダが持ってきたミニアルバムで聴かされたのだ。「これ、スゴイっすよ」と。
◆そのボーカルに、一発で殴り倒された。「これはスゴイ!」と家に帰ってすぐに彼らのYouTubeでの演奏をFBやTwitterに載せると、あっという間に音楽好きの友人知人からの反応があった。伊藤銀次さんも「スゴイ!」と言っていた。あんまり騒いだせいか、〈T字路s〉のマネージャーからお礼の連絡があって、彼らの次のミニアルバムに言葉を寄せることができた。その彼らの初めてのフルアルバムが写真だ。興味がある人はぜひ彼らの歌を聴いてほしい。ジャンルは、何だろう。ブルーズかもしれないし、ロックかもしれない。何であろうと魂が歌っていることは間違いない。このニューアルバムはまだiTunesなどには上がっていないようだけど、過去のミニアルバムはもう上がっているから視聴もできる。
◆ミュージシャンもだけど、僕ら小説家も自由業だ。自由業とはいったい誰が作った言葉なんだろう。確かに、僕らは自由だ。いつどこで何をするかは、全部自分たちで決められる。何を歌うか、何かを書くかも、自由だ。何もかも自分で決められる。ミュージシャンはまだツアーなどのライブスケジュールなどで一応縛られることもあるだろうけど、小説家はずっと家にいてもいい(^_^;)。
◆自由なんだけど、そして好きなように物語を書くんだけど、そこに不自由さもある。使ってはいけないと世間的に認識されている言葉を使うとチェックが入る。それは「使うな!」という命令ではなく「マズイですよ大丈夫ですか違う言葉に言い換えた方がいいですよ」という大人のチェックだ。筒井康隆先生がそれに怒って断筆宣言した逸話は有名だが、僕はそんなことはしない。「はいはい了解でーす」と、違う言葉に言い換える。そんなことは実は何十回もある。物語の題材についてもそうだ。どこかの馬鹿が騒ぎ出すような題材は極力使わないでほしいとお願いされたりもする。自由業である小説家は実は一番不自由さを知っているかもしれない。藻がたくさん浮いている海を、時には藻に引っかかったり藻を避けたり除けたりしながら泳いでいる。
◆何でも自分たちで決められるということは、何でも自分で決めなければならないということだ。
◆生きるも死ぬも、自分次第だ。

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