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Diary

『スタンダップダブル!』文庫化です。2015年11月10日

◆一日、冷たい小雨。standup1b
◆こうやって季節がどんどん冬へと近づいていく。しかしもうスタッドレスに履き替えワイパーもウインターブレードにしコートも革ジャンもブーツも手袋も出した私に死角はない。
◆もうすぐ『スタンダップダブル!』(ハルキ文庫)が文庫化されます。その見本が届きました。単行本のイメージそのままの装幀です。解説はいつもお世話になっている野球好きの大矢博子さんです。
◆それまで書いたことのなかったスポーツ小説を書いてみませんか、と言われていいですねーと。さてでは野球かサッカーかはたまた剣道かバスケットかと考えました。どれも一応経験のあるものばかりです。でもまぁやはりドラマになりやすい野球だろうと。野球ならばいっそ振り切って〈魔球〉でも出そうか、なんて楽しく考えていたのですが、舞台を甲子園を目指す高校野球にして、しかも野球ファンなら誰もが「そう来たか!」と唸らせるアイテムを登場させました。たぶん、野球小説をそこをメインに試合を書いたのは僕が初めてじゃないですかね(^_^;)。それぐらい渋いです。
◆さらに、高校球児たちが活躍する裏側で、大人たちの裏側を描いていきました。高校野球は大好きでいつも観ていますが、その時期が来る度に思っていたある〈大人側の事情〉を描いたのです。結果として、球児達のドラマと大人側のドラマとがバランス良く成り立ったんじゃないかなぁと思っています。野球が好きな方はもちろん、よくわからない方でも読めるように工夫したつもりです。そして、続編『スタンダップダブル! 甲子園ステージ』(角川春樹事務所)も単行本で出ています(ま、タイトルでネタバレってますけどヽ( ´ー`)ノ)。こちらの文庫化は来年でしょうかね。合わせてよろしくお願いします。
◆スポーツは観るのもやるのも好きだけど、野球はしばらくやってないなぁ。草野球やりたいなぁ。

『Happy Box』2015年11月09日

◆曇り夜になって雨。けっこう強く降っている。happybox
◆参加したアンソロジー『Happy Box』(PHP学芸文庫)が文庫化されて発売になっています。このアンソロジーは〈名前に〈幸〉の字が入っている作家を集める〉というおもしろい発想で企画されたのだけど、その経緯を改めてご説明。
◆実は、とっかかりは山本幸久さんと僕がパーティで話した何でもない会話が最初だったのです。その当時、某社の文芸誌で僕と山本さん、そして伊坂幸太郎さんが連載をしていまして、表紙でその三人の〈幸〉の字を並べて表記したのです。「あれ、絶対狙ったよね」と二人で話し、後日その話を山本さんがPHPさんの担当さんに話したところ「おもしろい!」と(^_^;)。それで始まった企画ですから、何が幸いするかわかりませんねヽ( ´ー`)ノ
◆僕は『幸せな死神』という短編で参加しました。もちろん、『死神の精度』という素晴らしい作品を上梓している伊坂幸太郎さんが一緒に参加する本で〈死神〉を出すのはどうかなぁとも一瞬思ったのですが、お会いしたことないけど伊坂さんは苦笑いで許してくださるだろうと(^_^;)。
◆山本幸久さんとはごくたまに一緒に食事をしたりします。真梨幸子さんはもちろんメフィスト賞仲間。中山智幸さんと伊坂幸太郎さんにはお会いしたことありませんが、皆さんさすがの素晴らしい作品ばかりです。ぜひそれぞれの〈幸せ〉についての物語を楽しんでください。
◆こういうアンソロジーは楽しくて好きです。各社担当編集様、小路はアンソロジーもどんどん引き受けますよヽ( ´ー`)ノ

読者だった2015年11月05日

◆晴れ。暖かい一日。honnnozash9
◆明日からは一気に寒くなるとテレビの天気予報のお姉さんお兄さんが言っていた。どうでもいい話だがテレビに出ている人の九割ぐらいは全員年下になってしまったと思う(俳優さんは別としても)。
◆ただの読者だった頃。年齢で言うと30歳までは僕は一般読者だった(30歳の誕生日に作家になろうと決めたので)。写真の〈本の雑誌〉もずっと愛読していた。二十代の頃は〈本の雑誌〉で勧めていた本は無条件に読んでいたような気がする。書評家の北上次郎さんのお勧めなどは特にだ。
◆デビューして初めて〈本の雑誌〉でその北上さんに書評欄で取り上げられたのは『HEARTBEAT』(東京創元社ミステリフロンティア)だった(そのはずだ。あれ違ったかな?)。褒められてなんだかもうにやにやしてしまったのをよく覚えている。そもそも〈本の雑誌〉に自分の名前が載ったこと自体がもうもう嬉しくて嬉しくてしょうがなかった(あぁその頃の純粋な気持ちはどこへ行ってしまったのかと(^_^;))。
◆毎日、本屋さんへ行っていた。広告制作という時間が自由になる職業だったので、ホワイトボードに【外出・本屋】などと書いてひょいと出かけてうろうろしておもしろそうな本はないかと物色していた。手に取って冒頭を読んで、「お、これは」と思ったらベテランだろうが新人だろうが関係なく買っていた。だから、読書好きから作家になった人間は〈作品が良ければ手に取ってもらえる。買ってもらえる〉と信じている。自分が売れない作家であるならそれは作品に力がないからだと思う。誰かのせいになんかしない。自分のせいだ。編集さんや営業さんが「自分たちに力がなくて重版できなくて」などといつも言うけど、そうではないです。僕の作品に力が足りないのです。謝らないでください。
◆読者だった頃より、読書量は減っている。もっと本を読まなくちゃと思う。いや、読みたいんだ。

思い出は、飯の種。2015年11月03日

◆晴れたり曇ったり。今日の穏やかな天候。sogabe
◆霞ががっていたのは、あちこちの畑で少し焼いていたのかもしれない。最近でこそ少なくなったけど昔はこの時期に相当派手に畑を焼いていたものだ。と、いかにも昔から田圃や畑に囲まれて暮らしていたように書いているけど僕は製紙工場の敷地のど真ん中で育った子供だ。工場の機械の唸りの音と煙突からの煙と川に流す廃液の匂いの中で遊んでいた。なので田圃や畑や海や山の記憶は、夏休みに遊びに行っていた(これは本当に絵に描いたような田舎)母方の祖父母の家のものだ。
◆『スタンド・バイ・ミー』という名作映画にとてつもなく郷愁を覚えるのは、あの映画のように僕たちも線路の上を歩いて遠出した記憶があるからだ。祖父母の田舎の鉄道は本当に何もない景色の中をどこまでも続いていた。線路に耳を当てて列車が来てないかどうかを確認して、「来た!」となったら脇へどけてその貨物列車などを見送っていた。
◆実家のすぐ近くにも小さな鉄道駅があった。その鉄道駅で僕たちはよく遊んでいた。改札口の鉄枠にぶら下がって鉄棒代わりにしても、駅員さんたちは怒らなかった。雨が降ってきて長く広いひさしの下でキャッチボールをしていたら、駅員さんが「よーし」と帽子をくるんと回してキャッチャーをやってくれたこともある。1960年代の話。まだ十二分にのどかな時代だったんだろう。
◆名前を出しても怒られないと思うがその駅は〈新旭川駅〉だ。画像検索してもらうとわかるが、驚いたことにその駅は僕の子供の頃の、ほぼそのままの佇まいでまだ現存している(ようだ。未確認です)。歴史的に保存してもらいたいぐらいだ。
◆思い出は、作家を職業にした今の僕にとってはまさに生きる糧になっている。いやカッコつけてしまった。こんな風に言うと身も蓋もないが、まぁ飯の種ってやつだね。
◆写真は曽我部恵一のアルバム〈My Friend Keiichi〉。

『港湾ニュース』という本2015年11月01日

◆晴れたり曇ったり。穏やかな天候。shipping
◆あんなに素晴らしい本なのにどうして今は手に入らないんだろう、という本は山ほどある。もちろん素晴らしいというのは僕の感想だから他の人にとっては大したこともない、なんてことはない! 本当に素晴らしい物語ばかりなのだ。そうしてそういう小説はおしなべて装幀も素晴らしい(中には物語は素晴らしいのに何だこの装幀はちょっと編集者と装幀家ここに座れいいから座れ小一時間ry、というものもあるのだが)。
◆写真のE・アニー・プルーの『港湾ニュース』もそうだ。この装幀を本屋さんで見た瞬間に(写真は古本になってしまっているので少しよれているが)やられた。迷わず手に取って買った。そして読んで打ちのめされた。なんて豊潤で香り高く素晴らしい物語なんだろうと。実はケヴィン・スペイシーとジュリアン・ムーアで映画化もされているのでそちらをご覧になった人もいるかもしれない。映画も中々(かなり)良かったけれども、やはり原作の持つ豊潤さは表現し切れなかった。この本が今は古本屋でしか手に入らない。もし見かけたら絶対に買って読んだ方がいい。損はさせない。
◆それにしてもこうやって改めて見てもいい装幀だ。近頃の(というかここ十年ぐらい)単行本の装幀はある傾向に偏り過ぎだと思う。それが何かは長くなるから書かないけれども見識ある方ならわかってくれると思う。もちろん装幀とはデザインであり、時代を映す鏡のひとつであるから傾向が出て当然なのだけど、擦り寄り過ぎるのもどうかと思う。物語の本質をきっちり捉えそれを二倍にも十倍にもカッコよくさせる〈絵になる〉ものであってほしい。
◆あ、いや拙著の装幀に文句を言ってるわけじゃないですからね! 違いますよ! いつも本当にありがとうございます装画の皆さん、装幀家の皆さん!

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