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Diary

『恭一郎と七人の叔母』が届きました2016年03月05日

◆晴れ。穏やかな天候。kyoichiro
◆ここのところ我が家近辺は良い天気が続いている。気温はそんなに上がらないので雪解けはそんなにも進んでいないけれども、春の足音がほんの微かに聞こえてきたような気がする日々だ。
◆そんな日に3月9日頃刊行の単行本新刊『恭一郎と七人の叔母』(徳間書店)の見本が届きました。読書好きの方ならタイトルにどこか聞き覚えがあるでしょう。パット・マガーに『七人のおば』という作品がありましたね。別にオマージュでも何でもなく、語感がいいので使わせてもらいました。タイトルそのままの物語で、〈更屋恭一郎〉と〈その七人の叔母〉のそれぞれの物語です。時代を明確にはしていませんが昭和の古い時代と考えてくだされば助かります。帯には〈家族小説〉とありますが、〈更屋家〉という造園業を営む一家の年代記としても読めるかもしれません。
◆更屋恭一郎と、その母はさき子、そしてさき子の七人の妹が、恭一郎の叔母たちです。それぞれ順番に〈志乃子〉〈万紗子〉〈美津子〉〈与糸子〉〈加世子〉〈喜美子〉〈末恵子〉です。恭一郎は産まれたときからこの叔母たちに囲まれて溺愛されて育ち、長じて中学生になった頃から、叔母たちからいろんな話を聞かされる羽目になっていきます。さて七人の叔母が恭一郎に語ったそれぞれの人生とは……という形で、パワフルでかつ愛らしい昭和の女性である更屋家の叔母たちの話が進行していきます。
◆実は僕にも叔母が七人、ではなく六人います。恭一郎ほどではありませんが、親戚つき合いが深かったので幼い頃からたくさんの叔母たちから「幸也ちゃん」と呼ばれて可愛がられました。五十半ばを過ぎた今でも会えば(会うのは法事ぐらいになってしまいましたが)「幸也ちゃん」と呼ばれます(^_^;)。物語の内容はもちろん完全にフィクションですが、可愛がってもらった叔母たちへの感謝の思いも少し込めました。楽しんでいただけたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
◆まぁしかし、おばさまたちは本当にパワフルですよね(^_^;)。僕の親の世代はまだ亭主関白とか男尊女卑の色合いが濃い時代でしたが、子供だった僕たちの眼から見ると、おじさんたちよりおばさんたちの方がずっとずっといろんな意味で強かったです。日本の女性たちへの愛もたっぷり込めたつもりです。

弥生三月2016年03月02日

◆晴れたり雪が降ったり。kamonyuzo
◆日ハムの大谷くんが順調だったりなでしこがヤバかったり。Twitterにも書いたのだが本当になでしこは佐々木監督を変えた方がいいと個人的には思う。もちろん功労者であることは間違いないので勇退という形でだけど。ここのところのなでしこジャパンは本当に停滞している。進化していない。進化させるほどの若手がいないのかもしれないけれども、いつまでも咲かせた花だけを大事にしていては新しい種にもならないだろう。今日でリオ出場はかなり厳しくなった。無理だろうと思う(まだ可能性はあるけれども)。良い機会と捉えて、さらなる高みを目指すために何かを変えてもらいたい。ありふれた言葉だけど、より高く跳ぶためにはより低くかがまなければならないときもある。
◆写真は『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』というLPなのだが、このスピーカーに頭を突っ込んでいるのは実は若き日の桑田佳祐さん。1982年だから今から30年以上も前の別名義でのライブアルバムだ。これはCDにもなっていないので、聴くためには中古LPを探すか、まぁぶっちゃけYouTubeで(^_^;)聴くしかない(もちろん僕はLPを持っている)。名盤と言っていいアルバムなんだけど、LPの復権が叫ばれて数年経つ。こういう幻の素晴らしいアルバムなんかも再発売できるような環境になればいいなぁと思う。
◆弥生三月になった。春はもうすぐそこだ。卒業を迎えて新しい生活へと進む人も多いだろう。そういう若者たちの未来を良きものにするのは僕たち年寄りの役目のはずなんだけど、できているかなぁといつも思う。
◆小説を書くこと以外何もできないしそれすら満足にできているかどうか。いろいろと考える春の始まり。

いつからこんな不自由になった?2016年02月29日

◆北海道は大荒れ。朝から雪かき。gilbert
◆雪かきしている最中に雨が降ってくるっていうのもなかなか珍しい。春の嵐とはいえ、重たい雪は辛い。明日もひどい天候になるとか。
◆アカデミー賞が決定した。レオナルド・デュカプリオが悲願のオスカー像を手にしたときに会場中にホッとしたような空気が流れてちょっとおもしろかった。まぁ今回も取れなかったら気まずい空気が流れること間違いなかっただろうね。スタローンにも取らせてあげたかったなー。
◆そして米国アカデミー賞の〈ショウ〉を観る度に思う。映画というエンターテインメント産業の規模の違い。まぁそもそもの国民の人数が違うんだし文化の差異もあるんだから我が日本と比べてもしょうがないってもんなんだけどさ。
◆今現在のエンターテインメント産業は、それを支える文化である映画や音楽の元になっているものは海外からの流入だ。日本古来の〈演芸〉ではない。日本のそれは歌舞伎とか能とか雅楽とかあるいは日本舞踊とか落語とか講談とか浪曲とかになってしまう。当然のごとく守るべきものだけど、今の主流ではない。でも、絶対に根っこにあるものだ。今でも「浪花節だねぇ」とか「判官贔屓」なんていう言葉が残るがあれは浪曲や歌舞伎から来たものだ(確かそうのはず)。日本人の根っこにあるものは形を変えて映画とかドラマになっていっている。
◆以前、日本アカデミー賞のテレビプログラムに散々文句を言ったけど、今でも思う。もっと、きちんとした、日本のエンターテインメント文化を継承し洗練させていくものを作っていけはしないのかと。ホテルのホールで予算のしょぼい真似事するだけでいいのかと。
◆言葉ひとつにしてもそうだ。今の日本は放送禁止用語とか差別用語などという蓋を被せてどんどん変な方向へ進んでいっている。今回のアカデミー賞の司会者である黒人のクリス・ロックはさんざんアカデミー賞の黒人差別をジョークにして皮肉っていた。レディ・ガガは大学でのレイプ事件を題材にしたドキュメンタリー映画「ザ・ハンティング・グラウンド」の曲を熱唱し、レイプの被害にあった女性たちが腕に「あなたの責任じゃない」「私たちは生き残った」などというメッセージを書きステージに上がった。こんなこと今の日本ではできないだろう。
◆それに比べたら他愛ないことだが、僕は若い頃の物語を書きそこで未成年の飲酒や喫煙シーンを描く度にチェックが入る。「大丈夫ですか?」と。どうして過去がそうであったことまで隠さなきゃならない?(これは世界中でもそうだろう)。
◆何故、できなくなった? いつからこんな不自由になった?

『そこへ届くのは僕たちの声』とサイン会2016年02月27日

◆晴れの良い天気。sokoebunsyun
◆2月の新刊『アシタノユキカタ』(祥伝社)のサイン会を〈三省堂書店札幌店〉さんが開催してくれました。少し気温の下がった寒い日でしたけど、たくさんの皆さんが来てくれました。小さいお子さんを連れてきてくれた方も多く、楽しかったです。ありがとうございました。差し入れもたくさんいただきまして本当にすみません。今後ともよろしくお願いします。
◆それから北大路公子大先生、再びのいきなりサイン会訪問ありがとうございますヽ( ´ー`)ノ。ちゃんと言ってから来てくださいね。祥伝社の担当編集も三省堂書店の店長さんも驚いていましたからね(^_^;)。
◆帰ったら見本が届いていました。新潮文庫から文春文庫に移った『そこへ届くのは僕たちの声』(文春文庫)です。装幀は写真のようになりました。作中に重要な舞台として出てくる〈天文台〉のイメージですね。発売は3月10日頃の予定です。
◆内容はまったく同じです。あらすじを紹介するのが難しい本だとよく言われるのですが、中学生の〈早川かほり〉と〈真山倫志〉、そして彼らの周りの大人たち。彼らを中心に奇妙な誘拐事件、植物状態の人を覚醒させる不思議な声、そして謎の〈ハヤブサ〉という人物。それらの謎がゆっくりと絡み合い、解けていき、〈遠話〉と呼ばれる不可思議な能力に行き当たります。そして起こってしまう大きな事件……彼らが行き当たる真実は何か。という感じの、SFファンタジーでしょうか。幼い頃に描いた宇宙への憧れという部分をバックボーンした部分も大きい作品です。デビューしてすぐに書き上げた〈アーリー小路〉な作品です。まだ未読の方はこの機会にぜひ。
◆こうやって十一年も前に書いた物語を思い出してみると、まぁよくこれだけ盛り込んで書いたな、というのが素直なところです。今だったらここに描かれた要素で三冊ぐらい仕上げてしまうかもしれません(^_^;)。

そのポーの一族によせて2016年02月26日

◆朝までに降った雪が20センチほど。poe
◆二日連続でそこそこ雪が降って、極端に少なかった積雪もなんとなくこの時期はこんなもんか、というぐらいになっている。やっぱり冬の野郎はきっちり帳尻合わせてくる。
◆どこかのテレビ局が『ポーの一族』を原案にしたバンパネラ(吸血鬼)の一族が絡むサスペンスドラマを制作すると発表した。主演はSMAPの香取慎吾くんだそうだ。香取慎吾くんがサスペンスドラマの主人公をやることは良いと思う。もう20年も前の『沙粧妙子 – 最後の事件 -』で見せたあの演技から僕は香取慎吾くんの演技が好きだ。そして不老不死の吸血鬼の一族がそこに絡んでくるのもいいだろう。そもそも〈不老不死の吸血鬼の一族〉それ自体がもう〈定番の設定〉だ。香取慎吾くんがどのようなバンパネラになってくれるのかは純粋に楽しみだ。
◆問題は、いや問題にすること自体こっちの勝手で申し訳ないのだが、何故名作『ポーの一族』を原案もしくはモチーフにした、と発表したか、だ。おそらくは作者である萩尾望都先生がそう言ってもいいと許可したのだからあれこれ言うべきものではないのだろうけど。
◆原作がどれほどの名作であるかを書き連ねることはしない。僕のバイブルと言ってもいいほどの漫画だ。写真は当時から持っているコミックス初版だ。もちろん今までに出された特装版やら何やらほとんどのものを僕は所有している。
◆萩尾望都先生の『ポーの一族』の実写化は(アニメ化はともかくも)、ハリウッド映画並みの豊潤な予算で外国人俳優を設定して大掛かりな長期海外ロケを敢行しない限りは不可能な作品。仮にそれができたとしても、原作漫画の持つ雰囲気、つまりは萩尾先生の絵柄から醸し出されるものを表出させるのは相当に困難。原作漫画を愛する人間ならそれは誰もが思っていること。共通の認識だと断言してしまう。
◆だから、〈『ポーの一族』を原案もしくはモチーフにしたバンパネラ(吸血鬼)の一族が絡むサスペンスドラマを制作すること〉それ自体が、『このドラマをやると判断したプロデューサーは本当に『ポーの一族』を愛しているのか? いや愛していないに違いない』と、勘ぐってしまうのだ。
◆良い方に解釈するのなら「あまりにも『ポーの一族』と設定が被ってしまうので、原作に敬意を表して原案・モチーフとさせてもらおう」ということで萩尾望都先生に許可を取ったのかもしれない。それならまぁなるほどしょうがないか、と頷ける。ドラマの内容は原作とかけ離れているから、頑張ってせめて永遠の時を生きる彼らの心の内を少しでも作品に込めてもらいたいと応援する。でももしそうではないのなら……いや、もう言うまい。決まって発表されてしまったことなんだから、せめて傑作ドラマになることを祈るしかない。
◆エドガー、おまえに。わたしのはるかなおまえに。そしてそのポーの一族によせて、と。

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