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Diary

あの日の全ての光りの物語へ感謝を込めて2017年01月26日

◆晴れたり曇ったり。穏やかな天候。
◆『とんび』という物語は重松清さんの小説で、NHKと民放でドラマ化されている。僕はNHKの方が好きだ。この間必要があってそのサントラ盤を改めて聴いて、いろいろと亡父のことなんかも思い出した。そして拙著である『怪獣の夏 はるかな星へ』(筑摩書房)のことも思い出した。いやまったく売れなかったんですわこれ(^_^;)。筑摩書房さんに本当に申し訳ない。その物語には珍しく〈あとがき〉を書きました。そこに亡き父のことも少し書いたので以下に全文引用してみます(筑摩書房さんすみません)。
昭和三十六年生まれの僕は、僕たちは、〈ウルトラマン世代〉と呼ばれることがある。共に同じ時を過ごしてきた人なら大きく頷いてくれると思うが、〈怪獣や怪人、宇宙人やヒーロー〉と文字通り一緒に育ってきた。まだゲームもパソコンもスマホもない時代。小学校から帰ってくると、バットとボールとグローブを自転車に挟んで近所の空き地に集まり三角ベースで遊んだ。ビー玉やメンコや、あるいは近くの川で魚釣りをしていた。そうして時間が来ると急いで自分の家に戻ってテレビの前に座った。既にテレビは一家に一台の時代になっていた。白黒からカラーの時代にもなっていった。
そこに、怪獣たちがいた。戦うヒーローがいた。
同時に僕たちは〈公害世代〉でもあった。
父が勤務していた製紙工場の社宅に住んでいたので、すぐ眼の前がその工場だった。屹立する高い煙突から吐き出される白煙や黒煙が、風向きによっては社宅を包み込み、すぐ傍を流れる川には、大きな排水口から茶色の廃水が川に流されていた。どす黒く汚れた川に僕たちは竹竿をたれて魚釣りをしていた。新聞には〈汚染〉や〈光化学スモッグ〉などという文字が毎日のように踊っていた。ある日、新聞を顰め面して読んでいた父に訊いた。
「公害ってなに?」
素直な疑問だった。公害から生まれた怪獣を、テレビでヒーローがやっつけたからだ。今でも、そのときの父の言葉を覚えている。迷いながら、少し苦々しい表情を浮かべて言った。
「お前たちに申し訳ないな」
戦争を経験した父母たちの世代は、たくさんご飯を食べられて、生活が豊かになることが幸せなんだと思っていただろう。子供たちにはそういう暮らしをさせてあげたいと、ただ懸命に働いてくれていた。その結果が、子供たちに公害を与えてしまったのかと父は悩んでいたのだろうと、今では思える。
ブラウン管の中の怪獣たちは皆、恐ろしい形相をしていた。ヒーローたちは皆、無表情だった。それは当然だ。全部が作り物で、あれは〈お面〉なんだと子供だってわかっていた。その無表情な動かない顔の向こうに何かを見たのは、いつからだったろう。彼らは〈悪〉と戦っているのではないと感じたのは何故だろう。怪獣はただ現われるのではない。ヒーローはただ倒しているのではない。その動かない顔の奥に隠された怒りと涙と苦悩。有史以来、人が語り続けてきた〈光と影〉の物語。
そのひとつの形を、素晴らしい結晶のような物語を、僕たちは子供時代にシャワーのように浴び続けることができた。光りの温かさと美しさを感じることができた。その影の恐さと悲しさを知ることができた。
全ての制作者と、生み出された物語に感謝を込めて。
◆父たちの世代は、僕たちに公害などというものを残してしまって忸怩たる思いを抱いていた。では、僕はどうだろう。もう既にあの頃の父の年齢を超えてしまっている。既に成人した息子もいる。
◆息子たちの世代に僕らの世代は何を残してしまったんだろうか? 何かを残せたのだろうか? 答えは見つからない。もしも若者たちが今の時代に怒りを覚えているのなら、それは僕たちの世代が残してしまったものかもしれない。
◆せめて、光りの物語を残したいと思う。

〈ノブレス・オブリージュ〉を心に描く2017年01月22日

◆曇りで風が強く少し雪も降った。
◆僕は作風からなのか優しい温厚な男に思われることも多いが、けっこう怒りやすい(ま、この日記をずっと読んでくれている方はおわかりでしょうが(^_^;))。けれども人前では決して怒らないようにしている。常に冷静に、何に対してもニュートラルなスタンスであたろうと努力している。それは、幼稚園の頃に端を発する。僕は小さい頃から涙脆い。泣き虫なのではなく、喜怒哀楽どんなものであろうと感情が昂ぶると涙が出てしまうのだ。『8時だョ! 全員集合!』を観ていたときなんて一時間ずっと涙を流していたからねホント。
◆この年代なので〈男の子が泣くのは恥ずかしい〉というふうに躾けられた。だからすぐに涙が出てくる自分が恥ずかしくてしょうがなかった。じゃあどうしたらいいかと考えると、人前では感情を昂ぶらせないようにしようと決めた。そうすれば、涙は出てこない。常に落ち着いていこう冷静でいようと考えていると、それが習い性になった。
◆大人になって、そこから紳士であろうと決めた。北海道の偉人であるクラーク博士に倣ったわけではないけれども〈Be Gentleman 紳士たれ〉と。基本ろくでなしではあるんだけど、マナーを遵守し、弱き者には優しくあり、〈ノブレス・オブリージュ〉を心に描くことにした。今も常にそう思っている(できているかどうかは別問題として)。
◆だから、力を持ちながら下衆な振る舞いをする野郎は許せない。
◆ただ、力を持った下衆な野郎を叩きつぶすには、それ以上の力を持ってしないと負け犬の遠吠えと同じに見られてしまう。残念ながら僕には力がない。地位も名誉も何もない。
◆だから、ここでも何も語らない。
◆自分の物語を書くだけだ。

『札幌アンダーソング 間奏曲』の文庫が出ます2017年01月20日

◆晴れたり曇ったりの穏やかな天候。
◆これで三年連続、我が家近辺は積雪量が少ない一月を迎えている。このまま降らないようであればまたしても楽な冬を、いやぶっちゃけ物足りない冬になってしまう。だからといって降ってほしくはないのだがこの辺りが微妙なまるで恋する乙女のような気分なのだ。
◆さて、もう間もなく文庫版『札幌アンダーソング 間奏曲』(角川文庫)が出ます。おそらくは25日ぐらいには店頭に並ぶのではないかと思います。文庫版はなんと単行本からわざわざ装画を変えております。そんなに予算使わなくてもいいのにKADOKAWAさんと思ってしまうのですがその辺は攻めるKADOKAWAさんですね。ありがたいです。
◆この物語は『札幌アンダーソング』『札幌アンダーソング 間奏曲』『札幌アンダーソング ラスト・ソング』の三部作です。二番目のこれは、文字通りの〈間奏曲〉。ラストに繋がるブリッジの物語です。ですから、できれば一作目の『札幌アンダーソング』から読んでいただけると助かります。主人公は四代の記憶を引き継ぐ〈天才〉で〈変態の専門家〉の志村春。それに、北海道警察の刑事である仲野久と根来康平が、札幌で起こるある人物を中心とした事件に向っていきます。最初は本当に変態な物語にしようと思っていたのですが(いや実は深読みするとかなり変態な連中なのですが)、諸事情でオブラートにくるんだものになっています(^_^;)。舞台は札幌市。地名や事件の起こる場所などはほぼそのままです。ですから札幌在住の方はどこで何が起こったのかすぐにわかりますね(もちろん、一部フィクションにしているのもあります)。
◆ぶっとんだ設定でそしてかなりおかしな物語ですけど、楽しんでいただけるように書いたつもりです。よろしければ、ぜひ。

タイトルに何もかもが詰まっている2017年01月18日

◆晴れたり曇ったり。穏やかな天候。
◆このサイトの日記は実はもう20年続けている。21年目に入ったのだ。最初は読書日記として始めたのだが、デビューしてからは同業者をディスることになってもまずいので(^_^;)、読んだ小説の感想は一切載せていない(あ、海外文学はたまに載せる)。マンガや映画やドラマの感想をたまに書いているぐらいだ。まぁだからいつもネタに困ってはいるのだが。
◆久しぶりに小説の感想を書く。でも小説と言っていいのかどうかはわからない。どうやらほぼ〈自伝〉らしい。同人誌即売会〈文学フリマ〉で大人気となり即完売になったものに掲載されていたそうだ。
◆在野の士、という言葉がある(あるいは在野の徒もあるか)。どういう意味か知らない方はググっていただきたい。僕は同人誌のことを昔からこの〈在野の士〉の方々の作品だと思っていた(違う! という意見はあるでしょうが個人の感想です)。公に姿を現さないけど才能を持った人は、たくさんいるのだ、と。僕は公になりたくて(つまりプロとしてデビューしたくて)作家になった人間だけど、そうではない活動をされている方々は大勢いる。作者である〈こだま〉さんもその一人だったようだ。
◆タイトルは『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)だ。このタイトルを見て、そして冒頭の文章を読んだ瞬間に「読みたい!」と声を上げたら扶桑社さんからプルーフをいただいた(扶桑社さん、つきあいもない三文作家にありがとうございました)。読む前からわかっていたけど、読み終わっても「このタイトル以外ありえない」と思う。決して奇をてらったわけでもウケを狙ったわけでもないしもちろんふざけているわけでもない。本当に〈このタイトルしかない〉のだ。そしてそれがすべてなのだ。よくぞこのまま出版する決断をしたと扶桑社さんを褒めてあげたい(上から目線すみません)。
◆正直言って、そこらへんの純文学なんか全てなぎ倒してしまうような作品だ。〈こだま〉さんの生きてきた日々は小賢しい作られた閉じた世界など全て押し流す。きっと候補にすらならないだろうけど、芥川賞を受賞してもいい。もしも候補にしたら芥川賞選考委員会事務局を褒めてあげたい(またしても上から目線すみません)。ご本人がどこまで〈創作〉の意識を持って書かれたのかは訊いてみなければわからないし、たぶん訊いてもご本人も答えられないような気がする。でも、間違いなく〈こだま〉さんは〈書くべき人〉だ。無論、ほぼ自伝として書いたこの次に〈創作としての作品〉を書けるかどうかはまた別の話なんだけど。
◆細かい内容は、紹介しない。サイトのあらすじが全てだ。そこに何もかも詰まっている。
◆もしも、この作品を土台にして〈こだま〉さんが在野ではなく公の創作の世界に入ってこられるのなら、また一人素晴らしい才能を持った作家が現われたのだと、心から嬉しく思う。
◆余談だけど、〈こだま〉さんは同じ北海道の出身らしい。それもまた、愉しい。

不便さの風情を知る年寄りとしては2017年01月15日

◆晴れたり曇ったりだけど寒い日。
◆ここ何日かの寒波はこの冬最低を記録しているような気がする。我が家近辺でもマイナス18度という今季最低(当社比)を記録している。これぐらいの気温は小さい頃は何度もあったんだけど、最近は年に一回あるかないかだ。温暖化っていうのはよくはわからないけど、実感として確かに平均気温は上昇していると思う。
◆もう55歳というおっさんなので、暖房器具も薪ストーブ→石炭ストーブ→灯油ストーブ→灯油ファンヒーター→セントラルヒーティングとほぼ全ての種類を経験している。もちろん、アンカも湯たんぽも。そうそう、実はコタツって北海道は普及率が低いのだ。何せストーブをガンガン焚いて部屋を暖めるからね。コタツそんなに使わないんだよ。
◆ほぼ二十年前に家を建ててからは暖房はセントラルヒーティングだ。各部屋にパネルヒーターがあってそれが暖められている。つまり、家中どこに行ってもほぼ同じ室温。これは便利なようでいて、ちょっと不便だ。というのも北海道では冬の間、ストーブがない部屋はちょうどいい冷蔵庫ぐらいの室温になる。なのでじゃがいもとかそういう野菜を置いておくのに非常に便利なのだ。酒を飲む人はビールなんてのも。妻もこの家を新築して入居したとき冬になると「野菜がどこにも置けない……」と嘆いていた。
◆昔の薪ストーブ・石炭ストーブ・灯油ストーブは上にヤカンを載せておくとお湯が沸いた。煮物なんかも置いておくと調理ができた。薪ストーブや石炭ストーブのときは焼き芋を作ったこともある。金だらいを載せておけば加湿器にもなった。今はそれはまったくできない。まぁ調理器具はいっぱいあるからいいんだけど、昔の風情を知っている身としては少し淋しく思うこともある。
◆何といっても、セントラルヒーティングは火が見えない。人間は薪や石炭が燃えているのを見ていると、落ち着くのだ。寒い外から帰ってきて冷えた身体を暖かい火が見えるストーブの前で暖めるとホッとした。今はそういうのがない。家の中に入っても「おー、寒い寒い」と手をかざすところがないのだ。
◆まぁでも便利で快適だからこれでいい。今更いちいち薪や石炭やくべたりする不便さに戻ろうとは思わない。その不便さの風情を知っている年寄りとして懐かしがるだけでいい。

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