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Diary

どうやって老いて死んでいくかを今から思う2017年02月24日

◆曇ったり吹雪いたり晴れたり忙しい天気。
◆もう二月も終わるので季節は確実に春に向かっているんだけど、これから北海道は本当にめまぐるしく天候が変わる時期。もういい加減勘弁しろよって感じで大雪が降ったりもするから油断できない。でも総じて今年は我が家近辺は降雪量が少なかった(札幌方面は多かったんじゃないか)。たぶんこれで三年連続ぐらいで少ない。
◆旭川市の実家にはもう誰も住んでいない。母は今は施設で過ごしている。先日も会いに行ってきたけど、まだ息子である僕のことも、嫁である妻のこともちゃんと思い出してくれる。ただ、思い出し方はいろいろだ。仙台から来たの? と訊くけど僕は仙台に住んだことも行ったことすらないし親戚だっていない。どこから仙台が出てきたのかわからないけど、「いやー、仙台は遠いなー」と笑って話し掛ける。孫である息子たちの名前を出せば「○○ちゃんは(長男)しっかり働いているかい」とか、「○○ちゃん(次男)は学校でしょう?」とちゃんと今現在の状況も思い出している。眼がもうほとんど見えないせいもあって話しているとたまに「誰かいるの?」となるけど「幸也だよ」と言えば思い出してくれる。身体は、まだ元気だ。施設の人の話では食欲もあるし、冗談に笑ったり、反対に冗談も言ったりするそうだ。「皆優しいよ」と、笑っていた。「帰って原稿を書かなきゃ」と言うと、「まだ仕事はあるのかい?」と訊いてくる。「ありがたいことにたくさんあるんだ」と言うと「良かったねぇ。感謝しなきゃねぇ」と言う。元々本を読む人ではなかったし、僕が作家になってすぐに眼がだんだん見えなくなってきたので、一冊も読んでいない。それでも、周囲の人から「息子さん作家だってねぇ凄いねぇ」と言われて喜んでいるらしい。
◆僕は死ぬまで小説を書くために、母と一緒に暮らさないことを選んだ。今の十倍ぐらい収入があったならまた違う方向もあっただろうけど、今はこれが精一杯だ。申し訳なく思うと同時に、それは近い将来の自分にも当てはまるものだと覚悟している。五十半ばを過ぎた今、自分の子供たちに負担を掛けずに老いて死んでいくことを、今から考えている。

『壁と孔雀』が文庫になります2017年02月18日

◆曇り後晴れ。比較的穏やかな天候。
◆相変わらず締切りに追われている。もう少し前だったら余裕のはずなのにやはり集中力が落ちている。十年前なら一晩で余裕で書き上げられた原稿に四苦八苦して丸二日掛かったりするのだ。悲しいったらありゃしない。
◆さて、2014年に早川書房さんから出してもらえた『壁と孔雀』が今月末に文庫で発売されます。そして巻末おまけとして2008年の〈ハヤカワミステリマガジン〉に掲載されたエッセイ『私の本棚 母はミステリ、父はデザイン』を載せていただけることになりました。いやー、自分でも懐かしかったです。今はがらりと変わってしまった9年前の私の本棚の様子も写真で載っています(9年前の私も)。
◆この『壁と孔雀』は、ハヤカワミステリマガジンさんでの二回目の連載として掲載されたもの。何せミステリマガジンですから、ミステリを書かなければなりません。そして私はミステリが大好きで大好きでたまらないのですが、いざ自分で書くとあまりにも自分の中の理想が高過ぎて何だかそれにまったく追いつかない結果として〈ミステリ的〉なものになってしまっているのではないかと反省至極の毎日です。
◆エラリィ・クイーンが大好きなのです。本当に好きなのです。中でも〈ライツヴィルシリーズ〉が本当に大好きなんです。だったら一度〈憧れのライツヴィルへのオマージュ〉を書いてみてもいいんじゃないかと、とにかく舞台設定だけは日本のライツヴィル的なものを用意しました。クイーンの〈ライツヴィル〉はもちろんアメリカの古き良き田舎町という設定です。そして北海道も日本の中でも実にアメリカ的な開拓された土地です。開拓という言葉が似合うのは日本では北海道だけでしょう。そういう北海道の〈来津平町(らいつびらちょう)〉が舞台です。ちなみに北海道では〈平〉が付く地名はたくさんあります。〈ピラ〉というのはアイヌ語で〈崖〉を意味していて、そのピラがつく地名のところが〈平〉という漢字が当てられたようです(豊平とか平取とか糠平などという地名があります)。
◆警視庁のSPである主人公が、怪我の静養と墓参りを兼ねて初めてその故郷である〈来津平町〉を訪れるところから物語は始まります。楽しんでいただけたら嬉しいです。
◆なお、装幀のイラストですが、単行本と同じものを使っていますが実はイラストレーターの丹治さん、ちょこっとだけ手を入れたそうです。どこが変わったかも確かめてみてください。

あぶない男と、あやうい女2017年02月10日

◆曇ったり晴れたり。穏やかな天候。
◆高校生の頃からいわゆる〈水商売〉の世界に親しんできた。ここでも何度も書いているけれど、飲み屋街でおつまみの配達のバイトを始めたのがきっかけだ。それ以前に喫茶店の常連だったし、音楽をやっていたのでライブハウスにも出入りしていた。コンサートの打ち上げで飲んで朝帰りなんてのも普通だった。まぁなんというかそんな時代だったんだよ。もちろん普通の真面目な高校生はそんなことしていなかったんだろうけど、少なくとも僕の周りは(音楽をやっている連中は)それが普通だった。
◆二十歳を過ぎてからはススキノ近くの喫茶店や飲み屋でバイトもしたので、自然とススキノに知り合いも増えていった。バイトが終わってから皆でその店に飲みに行くのも普通だった。当然のようにススキノには〈あぶない人〉もたくさんいた。人間ってのはすごいもので、そういう環境に置かれるとどんどん〈その人がどういう人か〉っていうのが肌でわかるようになっていく。それに対しての回避能力も養われていく。それは、男性に対してもそうだけど、女性に対してもだ(〈あやうい女の子〉と〈あぶない女の子〉はもちろん違うんだけど、その辺の話をしているとめっちゃ長くなるので割愛)。
◆若い女の子をカウンターの向こうにしてお喋りしていると「あぁこの子は〈あやうい〉な」とわかる。そういう子に限って、やっぱり〈あぶない男〉に近づいてしまう。そして〈あぶない男〉は元々そういう匂いを嗅ぎ分ける能力に長けている(だからあぶない男になるんだけどね)。夜のバイトをしていて、何人もの若い女の子(つまり自分と同年代の女の子)が、あぶない男につかまってどんどん堕ちていってしまうのを見てきた。
◆あれは、止められないんだ。本当に。親しい常連の女の子にはそれとなく注意したり、本気でアドバイスしたりするんだけど、人が心に思うことなんか止められない。心に灯った灯を消すことなんかできない。そうやっていつの間にか来なくなったり、気づけば夜の世界に入っていった女の子はたくさんいた(まぁ僕自身もある種のあぶない男の一人だったので偉そうなことも言えなかったんだけど)。
◆一人だけ、本気で止めて、わかってくれた女性がいた。詳しいことは言えないけど、マスターと僕と同じバイトの三人で何度も話し合って、ある雨の夜にドラマのように街の中を駆け回って(少し大げさだけど)救い出したことがある。何年か経ってその女性が幸せな結婚をしてお母さんになったことを三人で喜んだ。もう三十年以上も前の話だからあの女性は今頃おばあちゃんになっているかもしれない。
◆写真の野田彩子さんのマンガ『潜熱』を読んで久しぶりにそんなようなことを思い出した。
◆まだ、自分の作品にしていないことはたくさんある。いつか書けるかもしれない。

LOVEがあるからだ2017年02月04日

◆晴れたり曇ったり雪が降ったり。
◆著作権は、大切なものだ。守らなければならないものだ。それはもう、重々承知していただいていると思う。僕も、小説という創作物で飯を食っている人間なので著作に関してはすべて著作権を持っている。もしも、僕の小説をドラマ化したいとか、舞台にしたいとか、映画化したいという人がいたのなら、著作権保持者として、幾ばくかのお金を貰うことになっている。決して〈著作権〉だけで飯を喰っているわけではないのだが、少なくとも生活の糧にはなっている。無断で著作を使ってもらっては困るのだ。
◆でも、誰か僕の作品を好きになってくれて「紹介したい!」と、自分のサイトやSNSで僕の作品の文章を引用したり書影を貼り付けたりするのは、どんどんやっていただきたい。そんなことで〈著作権〉など振りかざしたりしない。学校の演劇部で僕の作品を舞台劇にしたいなんて話があったのなら(実際あったのだが)どうぞどうぞお金なんか取りませんから自由にやってくださいと言っている(もちろんそれが有料公演ならば話は別だが)。図書館やどこかで読み聞かせに使いたいと言われてもそうだ。極端かつ悪質な営利目的でない限りは全てに〈自由にどうぞ〉と、許可を出している。
◆ところで僕は作詞家として作品もあるのだが(^_^;)、その曲を音楽教室で教材に使いたいとかライブでやりたいとかも基本的には全然無料でオッケーと思っている(あくまでも僕個人としては)。
◆そして、僕はこのサイトで他の創作家の音楽CDや映画DVDや漫画の写真を勝手に載せている。Twitterでは毎日のように〈お風呂入ろう〉で歌詞を載せている。許可を取っていない。もしも実際にそれを制作したアーティストの方から「勝手に使うな」と言われたら素直に謝り削除する。でも、そんなことにはならないと確信している。
◆何故ならそこにLOVEがあるからだ。
◆JASRACのやり方には、音楽に対するLOVEがまったく感じられない。ただの1ミリもだ。

アメリカの風に吹かれて乾いた心はそう簡単に湿らない2017年02月01日

◆晴れたけど後に吹雪。また荒れるとか。
◆アメリカに憧れていた。たぶん、僕らの年代はほとんどがそうだと思う。まだ本当に小さい頃から、テレビ映画を観て「アメリカは夢のような国だ」と思っていた。そこには自分たちの家にはないカッコいいものがたくさんあって、お洒落な人たちがニコニコして暮らしていたのだ。大きくなって音楽やファッションに目覚めてからは尚更だった。ジーンズは(当時はジーパンと呼んでいた)まさしくアメリカで若者の象徴だった。カリフォルニアの風は遠くから吹いてきて僕たちを魅了した。
◆何がそんなに魅力だったのか。アメリカは自由だった。平等だった。チャンスの国だった。アメリカンドリームの国だった。ブルーズで、ジャズで、ロックで、フリーダムだった。ハリウッドに、ディズニーランド、ユニバーサルスタジオ。とにかくあの頃の僕らはいつも顔をアメリカに向けていたのだ(もちろん、イギリスにもフランスにもだけど)。
◆そのアメリカが、大変なことになっている。まだ実感としてはないしこれからどう動くか予想がつかないんだけど、無関心ではいられなくなってくるのは間違いない。
◆憧れ続けたアメリカの地に降り立ったのは、28歳のときだった。カリフォルニアだ。ロスアンジェルスに、サンフランシスコ。そしてニューヨークへ。
◆何十年も憧れ続けた気持ちがそう簡単に消えるはずがない。アメリカの属国だなんだと言われようと、僕たちは物心ついたときからずっとアメリカの風に吹かれてきたのだ。その風で乾いた心が簡単に湿っぽくはならない。今も、アメリカは憧れの国だ。
◆もちろん、いいおっさんになった今は、日本という国の文化を愛している。この国に生まれて良かったと思う。この国で生まれてこの国で死んでいくことに何のためらいも後悔もない。だからこそ、アメリカには自由の国でいてもらいたい。あの乾いた風を運んでほしい。憧れの国でいてほしい。
◆ガラッと話題は変わりますが、〈東京バンドワゴンシリーズ〉が、〈第二回吉川英治文庫賞〉にノミネートされました。ありがたいお話です。皆様のご愛顧の御蔭だと思っています。発表は三月ですが、受賞落選にかかわらず、〈東京バンドワゴン〉を愛してくれた皆様に御礼申し上げます。四月にはシリーズ新刊『ラブ・ミー・テンダー 東京バンドワゴン』(番外編だよ)、そして文庫の『ヒア・カムズ・ザ・サン 東京バンドワゴン』が出ます。どうぞこれからもよろしくお願いします。

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