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Diary

ロング・ロング・ホリディの終わりに2017年10月29日

◆夜になって雨が降る。
◆たぶん、同じような経験をしてきた人しか感覚的に理解できないかもしれない。10代の終わりから20代の始めに同じ店でバイトをした仲間だ。22歳とするなら僕は今56歳なので、それから34年が過ぎている。その間、ずっと友人でいる仲間がいる。
◆『ロング・ロング・ホリディ』(PHP)で、1980年代に札幌の〈D〉という喫茶店でアルバイトをする若者たちを描いた。物語そのものやそれぞれの登場人物はもちろんフィクションだけど、設定はほとんど僕の自伝と言ってもいい。僕は実際に1980年ぐらいに、札幌の〈D〉という喫茶店でたくさんのアルバイト仲間と青春時代を過ごしていた。今はもう皆、50半ばから還暦を迎えたおっさんばかりだ。もう付き合いのない人も、消息不明の人もたくさんいる。その中の何人かとは今もずっと友人でいる。
◆同じバイト仲間で、ひとつ上の先輩が突然旅立ってしまった。大学を卒業してからずっとロックなバーを経営していた。30周年を迎えたばかりだった。生き馬の目を抜くススキノでバーを30年続けるのがどんなに大変で凄いことかを理解できるだろう。
◆初めて会ったときに〈カッコいい人だな〉と思った。ずっと一緒にバイトをしてもその印象は変わらなかった。Mさんは、そういう人だった。だんだん酒を飲まなくなった僕はMさんのバーを訪ねることもどんどん減っていったけど、顔を出すと「よぉ! ○○○!」と笑顔で当時の僕のあだ名を呼んでくれた。ロックを愛して酒を愛して、仲間を愛した人だった。
◆通夜の席に、何十年ぶりかで会うバイト仲間も集まっていた。男同士で、ずっとあの頃の話をしていた。女性には聞かせられない話題も多かった。ほとんどそればっかりだったかもしれない。
◆この年になると久しぶりに会うのは葬儀の場でしかない。ほとんどが、そうだ。Mさんが会わせてくれたことを、皆がわかっていた。
◆同じ店で騒ぎながら見えない未来を探していた若者たちは、どう生きるかを乗り越えた中年になり、どう死んでいくかを考える年になっている。それでも、胸にある思いはあの頃とまるで変わっちゃいない。何かが終わったなんて思っちゃいない。
◆そっちに行ったら店に顔を出します。それまで、ロックを流して待っててください。

『花歌は、うたう』が出ます2017年10月25日

◆穏やかな暖かい一日。
◆風もなく空は晴れ上がって本当に気持ちの良い秋の一日。むしろ陽射しがあって暑いぐらいだった。届いたのはもうすぐ発売の単行本新刊『花歌は、うたう』(河出書房新社)です。
◆実は先月発売予定だったのですが大人の事情で今月になってしまい、『猫ヲ捜ス夢 蘆野原偲郷』(徳間書店)の発売と月が被ってしまいました。この場を借りてお詫びします。
◆あまり説明することもなく、装幀のイラストとタイトルそのままの物語なんです。女子高生が歌う物語(^_^;)。祖母と母と、祖母の家で暮らす高校生の花歌(はなか、です)。父親は有名なミュージシャン〈ハルオ〉。でも、そのハルオは花歌がまだ小学生の頃に失踪してしまって、そのまま今も行方不明になっています。ただ、花歌の暮らしはそんなにも変わっていません。しっかりとした祖母が守る家で、公務員の母が家庭を支え、何不自由なく暮らしています。花歌も、ちょっと変わってはいますが、明るく元気な女の子。でも、幼い頃から花歌が発揮していた才能には周りの皆は気づいていました。〈歌う〉才能です。親友で彼女自身も吹奏楽でサックスの才能を発揮している睦美は、花歌に言ってみます。「自分で歌を作って、うたってみない?」。その日から、花歌のうたが、周りを動かしていくことになります。
◆物語は、花歌がうたうことと、そして行方不明になっている父〈ハルオ〉を周囲の人間が捜し始めることから始まります。
◆作中、花歌が自作の歌をうたうシーンがあって、歌詞も書いてありますが、もちろん僕の作詞です。曲も実はついています。僕がまだアマチュアミュージシャンだった頃、作詞作曲をしていましたけど、そのときには歌詞を書きながら同時に曲もつけていました。ほぼ同時にできあがるタイプです。でも女子高生が書く歌詞にしなきゃならないっていうのでめっちゃ苦労しました(^_^;)。ちょっと恥ずかしい感じです。
◆そういうのも含めて、楽しんでいただけたら嬉しいです。花歌の歌が聴こえてくれたらいいなぁと思います。

NO MUSIC, NO STORY!2017年10月20日

◆晴れたり曇ったり。下がり過ぎた気温も平年並みになり秋らしい一日。
◆いつも書くことだが本当に皆さんを楽しませるような日記のネタがない。
◆この日記を始めたのは実はもう21年も前のインターネット黎明期の頃だ。その頃はいわゆる〈読書日記〉だった。まだ広告会社に勤めていた頃で、ほぼ毎日一冊は小説を読んでいた時期だ。ネットの読書仲間たちと掲示板で交流して、読書愛を皆で語り合っていた。
◆作家の〈海猫沢めろん〉は実はその頃の仲間だ。彼の他人には決して言えない黒歴史を山ほど知っている僕を、近頃すっかり先生になってしまっためろんは口封じしようとしているヽ( ´ー`)ノ
◆僕は基本的にその本のいいところを書く人間だったけど、たまにうっかりめちゃくちゃディスることもあった。なので、その頃の日記はデータはあるけど封印している(^_^;)。同業者になっちゃったのでうっかり読まれて気を悪くされても困るしね。でも誰のどの作品をディスったかもう忘れちゃったなぁ。
◆ギターの本の帯にコメントお願い! と旧知の編集者さんに頼まれて、いつものように気軽に「いいですよー」と気軽に書いたらなんとスピッツの草野マサムネさんのコメントの横に対等に並んでしまったではないか! というのが写真の本。『40歳からのハローギター』(幻冬舎)。いやー申し訳ないですよね。バリバリの現役ミュージシャンの横にもうギターを弾いていないしかも弾いていた頃もめちゃ下手くそだったアマチュアミュージシャン崩れの小説家ですからね。草野さんも「誰だこれ?」とか思ったことでしょう。
◆偶然にももうひとつ、伝説のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトを描いた映画『永遠のジャンゴ』の公式サイトにもコメントを寄せたのです。こちらももうゴンチチさん、ピーター・バラカンさん、渡辺香津美さん、押尾コウタローさんなどなど錚々たるメンバーに雑じって小路幸也ですよ。誠に申し訳ない気持ちでいっぱいです。映画も音楽好きならぜひぜひ。
◆ギターは弾かなくなって久しいけど、物語を書くときにはいつもその物語の架空サントラ盤をiTunesで作って、ずっとそれが部屋に流れている。音楽なしには僕の作品は成り立たない。だから、僕の物語を読むと音楽が聴こえてくるという感想は本当に素直に嬉しい。NO MUSIC, NO STORY!

日本の〈物語〉は2017年10月16日

◆晴れ。冬支度を始めなさい、という冷たい風が吹いている。
◆アメリカの動画配信サービス、つまりHuluやNETFLIXだけど、とてつもなくドラマがおもしろいものが多い。ドラマというのは、連続ドラマもあるし映画のように単品もある。とにかく予算をふんだんに使っているのがよくわかる。連続ドラマの一本に映画なみの予算を掛けているだろうという作りだ。もちろん肝心のストーリーもよくできている(ま、首を傾げるのもあるが)。本当にエンターテインメントの国なんだなぁと感心する。
◆日本は戦後、英米の映画やテレビドラマを文字通りお手本にしてきた。テレビ業界などは本当にアメリカのものをそのまんま使って成長してきて、その中で日本独自の感性を育てて、オリジナルコンテンツというものを生み出してきた。一時期は内容的にも質的にも(文化の土壌が違うのだから比較に意味はないけど)肩を並べた時期があったと思う。
◆今はどうだろう。日本のテレビは、全然ダメなんじゃないか。動画配信サービスも後れを取っている感がある。ドラマもWOWWOWなどでかなり頑張っているのもあるけれど、せっかくの質の良いドラマも広がっていない。そしてその質の良いドラマも自家中毒を起こしているんじゃないかと思わせるものも多い。つまり、外に向かっていないのだ。
◆マンガは日本オリジナルの文化と言っていいと思う。世界に誇る日本のカルチャーだ。一時期のテレビゲームにもそういうものがあった。それを世界へ羽ばたかせていくのも、少し失敗しているんじゃないかと思える節もある。映画だって、世界のクロサワは、本当に世界のクロサワだったのだ。ジブリを筆頭としたアニメだってそうだ。世界は確かに日本のアニメを求めた。今もそうだ。
◆映画もテレビドラマもマンガもアニメも〈物語〉だ。日本の〈物語〉は世界を席巻することができるんだ。それなのになぁ、と、嘆息してしまうことが多い。
◆日本は、愚かな戦争をして負けて、唯一の被爆国として戦後奇跡の復興を遂げた。そしていい気になってバブルが弾けた。その中でも、様々な問題を抱えつつも、世界一安心・安全な国として存在し続けてきた。国民性としてのマナーの良さも世界から賞賛されることも多い。じゃあ、これから、日本はどういう国にならなきゃならないのか。世界平和を実現させる国にならなきゃダメだと思う。世界から戦争をなくし、日本の安心と安全を世界中に広めることこそ、日本という国の存在意義にしなきゃダメなんじゃないか。
◆日本の〈物語〉でそれを実現できるんじゃないか。政治家が国を作るんじゃない。国を作るのは文化だ。文化を作るのは、そこで暮らす人々だ。
◆日本の物語の底力を見たい。
◆と、まぁ大風呂敷を広げたけどここまでだヽ( ´ー`)ノ

この十本の指を休ませないために2017年10月12日

◆雨が降ったり止んだり。今は雨が降っている。
◆気温がどんどん下がってきて、暖房を点けざるをえない日々になってきた。まぁ厚着をしたら何とかなる気温ではあるけど、基本雪国の人は家の中で厚着はしない。暖房点けます。そのためにあるんだから。その昔は会社員なら冬になると暖房手当ってのが出たんだけど、今でもあるんだろうか。
◆偶然なんだけど、二件立て続けにギターにまつわるコメントの依頼があった。一件は映画で、一件は本の帯だ。近々両方とも表に出るだろうから、そのときにはお知らせします。
◆ミュージシャンでもない僕がギターについてのコメントを書いて、同じ場所に一流のミュージシャンたちのコメントが並んでいて恐縮してしまう。そして、ちょっとだけ嬉しい。ミュージシャンになりたくて、でもなれなかった男としては。
◆二十代半ばでミュージシャンへの道を諦めて以来、ギターは弾いていない。ごくごくたまにギターケースを明けてネックを握ることはあっても、練習したり作詞作曲をしたりましてやライブなんかやっていない。少なくとも十年間、作詞作曲をして、ライブも何十回もやったのに、あれ以来弾いていない。完全に諦めた。
◆今でもライブやっていたりする同じ年代のアマチュアミュージシャンは大勢いるだろう。たまにそういう映像を観たり話を聞いたりすると、楽しそうだなぁとは思う。その頃の僕を知る旧友には「いつでも音楽を始めればいいじゃないか」とも言われる。でも、やっていない。
◆なんだろうなぁ。いくら練習してもクラプトンには届かないし、歌を作っても山下達郎や大瀧詠一には叶わない。つまり、憧れの場所には辿り着けない。そう自分の中でわかってしまった。わかってしまった途端に、ギターを弾くことが、歌を作ることが、そんなことを考えている自分が悲しくなってしまった。純粋にただ楽しめばいいのに、それができないと感じてしまった自分が悔しかった。
◆もちろん今でもギターは、エレキでもアコースティックでも大好きだ。あの弦の音を聴くと、身体の奥から湧き上がってくるものがある。純粋に楽しめればいいのなぁといつも思う。そう思うことも悲しくなるから、ずっとパソコンのキーボードを叩いて一日中物語を書いているのかもしれない。この十本の指を休ませないために。六本の弦に向かわせないように。

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