logo2

Diary   Facebook   Books   Profile   Twitter   Olddiary  

2014年6月2日(月) インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌
◆晴れ。暑い日。でも夜は涼しい。insidellewyn
◆このままだとまたどこにも行かずに自主カンズメに突入しそうなので観たかった映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』を妻と二人で観てきた。映画館の受付で「大人二枚」と言って五千円札を出そうと思ったら受付のお姉さんは「二千円です」と。え? 何故そんなに安いと思ったら「月曜日にカップルで来られるとお一人千円なんです」とお姉さんはにっこり笑う。なるほどそれは良かったと思って壁に貼ってあったその案内板を見ると下の方には〈50歳以上のご夫婦での来場はいつでもお一人千円〉とあった。むろん、私たちは逃げ隠れせずに50代の夫婦なのでどっちにしても千円で映画を観られたのだが、妻は「カップルに見られたってことは若く見られたのかしら。嬉しいわ」と喜んでいたヽ( ´ー`)ノ
◆それはさておき映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌だ。1961年、ニューヨークのグリニッジビレッジ。その時代と地名に胸の奥に何かが湧き上がるのは若くても40代後半がギリギリだろう。フォーク・ソングムーブメントの原点がそこにあった。まだボブ・ディランが世を席巻する前、そこに集っていたフォークシンガー、そして文字通り名もなきミュージシャンの短い物語。僕が名もなきミュージシャンだったのは1980年頃だったのだけど、ここに描かれていたのはデジャヴュかと思うほど、ろくでなしの男の物語。あるのは音楽への情熱だけで他にはなにも無い。金もなければ甲斐性もない。日ごと夜ごとにギターを抱くだけならまだしも適当に女を抱いて妊娠させて中絶費用を工面するのにまた一苦労してその癖音楽以外では稼ぎたくなくて……うーむどうしてだろう覚えがありすぎて泣けてくるぜヽ( ´ー`)ノ
◆こんなんだったんだ。僕らは。ミュージシャンになろうとしていたろくでなしどもは大体こんなもんだった。
◆あ、猫好きにも嬉しい映画だったよ。

6月7日(土) 日々
◆晴れたり曇ったり。気温もたぶん落着いた。unagi
テレビドラマ〈SHERLOCK(シャーロック)〉が相変わらず素晴らしいが、〈シャーロック・ホームズ〉の物語を初めて読んだのは小学校三年生のときだ。一番最初の読書体験は江戸川乱歩の少年探偵シリーズ『青銅の魔神』だったのだけど、そこから〈推理小説・探偵小説〉というものの存在を知って学校の図書室に通い詰めた。そこにあったのが、〈シャーロック・ホームズ〉だった。一体どこの出版社のどの版を読んだのかは記憶にないのだけど、最初に読んだのは『まだらの紐』だったことは覚えている(だから『シャーロック・ホームズの冒険』だったんだろうね)。ところが、少年探偵団には夢中になったくせに『まだらの紐』を読んだときの小路少年は「なんだ○○かよ! くだらない!」(ネタばれ伏せ字)とか思ってしまって、ホームズにはまらず(一応図書館にあったものは全部読んだけど)エラリィ・クイーンに行ってしまったのだ。何故かはわからないけどね。その後、中学生になってから改めてホームズ物は読み出したっけ。もちろん全部読んでその素晴らしさを再認識したことは言うまでもない。写真は中山うりさんの新譜『鰻』
◆だから、僕の中には〈名探偵〉がいつもいる。明智小五郎とシャーロック・ホームズとエラリィ・クイーンとエルキュール・ポワロとミス・マープルとハーリ・クィンとネロ・ウルフと怪盗セイントと金田一耕助を全部足したようなすごい名探偵だ。いつかその名探偵が姿を現して事件を語ってくれないかと期待しているんだけど、なかなか出てこない(^_^;)。頼むから死ぬ前に出てきてくれと祈るばかりだ。

6月15日(日) すべての神様の十月
◆曇り。蝦夷梅雨な一週間だった。kamisama
サッカー日本代表はワールドカップの初戦を2−1で落としてしまった。いろいろ書きたいけど、一言で言えばドログバの存在感だけにやられた試合。あとやっぱり緊張は疲労を呼ぶなぁとか、キツイ気候なんだろうなぁとか。だけど、まだ試合はある。下を向く必要はない。そしてはっきり言って勝負は時の運だ。勝っても負けてもそのすべてを日本のサッカーがワールドクラスへ歩み続ける糧にすればいい。しなくちゃいけない。もちろん、僕らサポーターの質もね。
◆そんな日に見本が届きました。21日近辺に発売の単行本新刊『すべての神様の十月』(PHP)です。コアな読書好きはもちろんPHPさんのことを知ってると思いますが知らない方はこちら。老舗の出版社さんなのですよ。以前に『Happy Box』(PHP)という名前に〈幸〉の字が入った作家さんだけのアンソロジーがありまして、そこに僕は『幸せな死神』という短編を書きました。これが好評だったので、じゃあそれをベースにした短編集はどうだろうとお話をいただきまして、死神を書いたなら他の神様を書かなきゃならんだろうと(^_^;)、〈神さまシリーズ〉を『文蔵』で書き始めました。その連載がまとまったものがこれです。〈死神〉の他には〈疫病神〉や〈貧乏神〉〈福の神〉〈道祖神〉〈九十九神〉など、由緒正しき〈日本の神様たち〉が主人公です。もちろん、学術書ではないので(^_^;)、それぞれの神様の解釈は僕個人の、エンターテインメントなものです。小さい頃に、祖母や母によく言われました。〈枕を踏んだりしたら神様のバチがあたる〉〈トイレには神様がいる〉〈悪いことをしたら神様が見ているよ〉などなどなど。僕は無宗教ですが、民間信仰みたいなものは好きです。生活に根ざした〈神様〉の存在を否定はしません。むしろそれは僕たちの暮らしを豊かにするものではないかと思います。ご飯を食べるときの〈いただきます〉でさえ、神様への感謝の言葉でしょう。そういう〈暮らしの中にいる神様〉みたいなものを、物語の形にしてみました。楽しんでいただければ嬉しいです。
◆あ、サッカー日本代表のシンボルマークである〈八咫烏〉も出てきますよヽ( ´ー`)ノ

6月20日(金) ワールドカップ
◆曇り後晴れ。まだ気温は少し低いけど晴れ間も出てきた。jfa
◆記録的な天候不順。とにかく一週間以上晴れ間を見ていない。蝦夷梅雨にも程があるって感じの北海道。農作物への影響がとにかく心配だ。
◆ブラジルワールドカップ。我らがサッカー日本代表サムライブルーは初戦を落として、二戦目のギリシャとは引き分け。サッカー好きは、ギリシャが10人になって有利と考えた人は誰もいなかったんじゃないかな。ゴール前を固められて余計に苦しくなってしまった。そこで1点取れればいいんだけど、決定機が三回ほどあったように思うけど外してしまった。まぁ当たり前のことだけど、決めるときに決めないと勝てないのだ。
◆勝ち点1を取って最終戦に僅かに決勝トーナメント進出の可能性は残したけど、自力での突破は消滅した。可能性が残っているとはいえ、かなり苦しいのは事実。実力では上のコロンビアから2点取って勝って、なおかつギリシャ対コートジボワールでギリシャに1−0ぐらいで勝ってもらわなきゃならない(日本が2点差つければ引き分けでもいいけど)。パーセンテージで言えば80、いや90%ぐらいは無理かもしれない。そこは覚悟しておこう。
◆でも、前から思っていたんだけど、日本代表って本当に強い相手とぶつかったときにいいサッカーをするんだよね。つまりお互いに攻撃的にガンガン攻め合う相手の方がうまくハマるような気がする。そういう意味で最終戦のコロンビアは楽しみだ。コロンビアはもう決勝トーナメント進出を決めているからメンバーを落としてくるだろう。サブメンバーは自分たちのアピールになるのでガンガンくるだろう。つまり、日本代表にとってもやりやすくなるような気もする。いい試合を期待したい。
◆とにかく勝っても負けても、日本代表の挑戦はこれからも続く。応援して楽しむのみ。
◆ただひとつ気掛かりなのは、本田の今の姿がドイツワールドカップのときの中田とダブることだ。燃え尽きてしまわなければいいのだけど。

6月22日(日) 紙つなげ!
◆曇り後晴れ。でもまだ気温が低い。kamitsunage
◆亡父は旧・国策パルプ旭川工場(現・日本製紙旭川工場)に勤務していた。紙を作っていた。その当時のことはデビュー作である『空を見上げる古い歌をくちずさむ pulp-townfiction』(講談社)に書いた。サブタイトルに〈パルプタウン〉としたのは伊達ではなく、文字通り〈パルプ町〉という住所の町に僕らは住んでいたのだ。とてつもなく大きな工場の敷地内の社宅が僕らの家だった。
◆その頃の工場は立ち並ぶ煙突から容赦なく煙が出ていたし、工場の騒音も凄かったし、匂いも凄かった。でも僕らはそれが普通だった。小学校ではよく〈パルプの子〉と呼ばれた。大抵クラスには十人ぐらいはパルプ工場で働く親を持つ子供がいたからだ。工場の匂いが臭いと言われると少し悔しかった。臭いのはわかっていたけれど、それは僕たちの当たり前の空気の匂いだった。今でも製紙工場のあの独特の匂いを嗅ぐと、懐かしくなる。製紙工場のあの匂い立ちこめる場所が僕の故郷なのだ。
◆絵を描いたりする紙は山ほど家にあった。まったく不自由しなかった。自由研究のときに〈パルプの子〉じゃないクラスメイトに紙を配ってあげるのが少し自慢だった。僕らは漫画雑誌の黄金期に子供時代を過ごした。〈少年マガジン〉や〈少年ジャンプ〉や〈少年サンデー〉を皆で回し読みし、姉が買ってきた〈別冊マーガレット〉や〈なかよし〉や〈少女フレンド〉や〈りぼん〉を読んでていると、よく父は「その漫画の紙は父さんたちの工場で作っているんだぞ」と言っていた。今思えばその顔が誇らしげだったような気がする。
◆この本は、あの未曾有の災害から奇跡の復興を遂げた〈日本製紙石巻工場〉の姿を描いたノンフィクションだ。出版のために、紙を作るために、失意の底から立ち上がった人たちの物語だ。本の中には旧・国策パルプ旭川工場の名前も出てきた。父と同じ工場で働いた方が、ここにいたのを知って嬉しくなった。心から、感謝した。
◆今、僕は、父と同じ仕事をしている方々が作った紙に物語を綴っている。父が生きているうちに僕の本を渡せなかったのは残念だけど、実家の仏壇の横には僕の本がずらりと並んでいる。その本は、製紙工場の皆さんが、父と同じ仕事をする人々が作った〈紙〉で出来ている。

6月25日 サッカーが好きだ
◆晴れ。穏やかな日。jfa1
◆ワールドカップを勝ち進むのに何が必要なのか。そんなこと誰にもわからない。10人の凡庸な選手しか(あくまでもワールドカップを戦える程度の凡庸さだ)いなくても、1人の天才がいれば優勝できるかもしれないのだ。あるいは11人の凡庸な選手しかいなくても、ベスト4まで行けるかもしれないのだ。たくさんの才能を持った選手が11人集まっても、1次リーグで母国に帰ることもあるのだ。何が必要かなんてまったくわからない。たぶん誰にも説明できない。
◆でも、たったひとつ、優勝したチームの人間だけが、優勝監督だけが感じて言える言葉があると思う。〈我々には運があった〉だ。勝負は時の運というのは本当なんだ。もちろん運だけで勝ち進めるわけじゃない。前提条件に努力と才能と意欲が必要だが、前に述べたように、それだけでは勝ち上がれないのだ。あのときのシュートがあと5センチズレていればとか、あのときのルーズボールが相手の足下に転がらなければとか、大抵の場合、そういうことで勝負は決まるのだ。
◆ブラジルワールドカップを戦った日本代表が1次リーグを突破するのに足りないものは運だけだった。実力がなかったわけじゃない。実際他の1次リーグで消えたチームの中には明らかに勝てるなと思えたチームがある(たとえば申し訳ないがイングランドだ)。組み合わせも、もちろん運だ。
◆ただ、その運を引き寄せる他の何かが足りないことも考えられる(個々の才能や努力はもちろんとして)。何だろう。強靭な体力や何ものにも揺るがない自信だろうか。わからない。わからないけど、いつかそれを手に入れて彼らが勝ち進む日を夢見て応援して楽しむ。
◆何にしてもワールドカップはまだ続く。そして9月には〈新しいサッカー日本代表〉の試合もある(札幌でもやるんだ!)。新しい代表監督は誰なのか。そして4年後のロシアを目指すことになる新しい日本代表になるメンバーはどんな顔ぶれなのか。楽しみだ。
◆いつかまた、日本人監督が率いるサッカー日本代表の姿が見たいな。