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2014年12月11日(木) 『旅者の歌 中途の王』
◆小雨が降ったり雪になったり。ryosya2
◆ついに11月は3日しか更新しなかった。そして12月もはや11日。怖くて日付を確かめたくない。本当にマズイ状況。なんとかギリギリこなしてはいるものの、年末進行という最後の山をどうやれば乗り切れるものか。もうこのまま日記は閉じてしまおうかとも思ったけど勇気を振り絞って更新する。いやもう今年は何があってもずっと更新すると決めた。
◆今年最後の新刊の見本が届きました。『旅者の歌 中途の王』(幻冬舎)です。既に電子書籍では去年の段階で出ているものの、単行本化です。紙の本にするにあたって、若干の加筆修正を行いましたが極端に変わってはいません。先月の『旅者の歌 始まりの地』文庫の際にも書きましたが、このシリーズは
電子書籍先行でスタートしていますから、詳しくはソニーさんのこちらや、幻冬舎さんのこちらを参照していただければと思います。この巻はリョシャたちに新しい仲間がさらに加わり、さらには初めてと言っていいほどの〈戦闘〉へと巻き込まれていきます。そして、ようやく自分たちが探し求める〈魂の地〉の手掛かりのようなものを掴み、未知なる世界へと足を踏み入れます。どちらかといえば静かだった第一巻とはがらりと変わってアクションの多い巻です。仲間に加わった女剣士〈カポック〉もカッコいいです。何といってもキャラクターイラストを書いてくれた加藤木麻莉さんの絵がいいですよね。僕の言葉でしかなかった登場人物たちに見事な息吹を吹き込んでくれて、絵が上がってくる度に「おお! あいつはこういう奴だったのか!」と子供のように喜んでいました。現段階でもう電子書籍では最終巻である第三部がスタートしています。彼らの旅も一応の終わりを見たので、あぁもう新しい彼らの姿絵を見られないのかぁとちょっと淋しく思っています。リョシャたちの旅を楽しんでいただければ嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
◆で、相変わらず執筆ばかりの毎日です。唯一の楽しみはスズメに餌をやることです。ただし奴等はどんどん増えてきていまや50羽ほどの集団になっていて、今日なんか結局四合ものお米を上げました。食べ過ぎだおまえら。
◆本当に今日から毎日更新しよう。何にもなくても書く。それぐらい出来なくてどうするよ小路幸也。

12月12日(金) 日々
◆雪が降ったり晴れたり。harikominikki
◆本格的に雪かきの日々がやってきた。大体寝る前に「あぁ明日は朝から雪かきだ」とわかる。しかも夜中の二時過ぎに除雪車が通ったりすると翌日の朝の雪かきの辛さのレベルもわかる。もっともこれは一軒家に住むようになってからであって、マンション住まいの頃はこの雪かきのプロのような眼は養われていなかった。せいぜいが自分の車の周りの雪をなんとかしなきゃならないぐらいだった。
◆僕ら夫婦も二人足して100歳以上になって、10年後ぐらいには立派な老人と呼ばれる世代に入るだろう。そこから雪かきというのは切実な問題になってくる。そうなるとマンション住まいも選択肢のひとつだよなぁとは思うが、一軒家の暮らしに慣れてしまうと、周囲が壁と床一枚で隔たれただけのぐるりと他人の部屋、という感覚に戻る気があまりしないのも事実。そうそう僕は喫煙者だから煙草の問題もあるしね。最近はマンションの自分の部屋なのにいろいろうるさいんでしょ?ヽ( ´ー`)ノ
◆写真は『張り込み日記』 渡部 雄吉 (著)、構成と文:乙一、 AD:祖父江慎(ナナロク社)。昭和33年の本物の刑事たちの本物の捜査記録。何が良いかって、この時代の男たちの女たちの佇まいが良い。惚れる。
◆つい先日ある連載のゲラのときに編集さんから指摘があって、なるほどなぁと思ったことがある。詳細はちょいとマズイので書けないのだがまぁ日本のある習慣のようなものについての話だ。北海道で生まれ育った僕には知識としてはあっても実感としてはまるでない話。誤解を恐れずに言うと、北海道には歴史がない。文化の根っこがない。北海道以外の各地には大ざっぱに言えば千年以上の歴史と文化の積み重ねがあるけど、北海道はたかだか百年。明治時代になって日本の各地からやってきた皆さんが〈北海道民〉になった。積み重ねられた文化歴史をうらやましいなぁと思う反面、ある意味でのデラシネである僕たち道産子は身軽でいいなぁとも思う。

12月13日(土) 日々
◆晴れたり雪が降ったり。gunzounohoshi
◆大抵の小説家は妄想のプロだ。ほとんど毎日いろんな妄想をしている。ミステリ作家さんなんかは確実に毎日妄想の中で人を殺している。しかもどうやったら警察にバレないかとヽ( ´ー`)ノ。僕も例外ではなく、原稿が進まないのは本を読んだり映画を観たりじゃなくて、書いている原稿とはまったく違う妄想についふけってしまって気がついたら一時間経っていた、なんてこともある。そしてその妄想がいつか実を結んで物語になったりすることもあるのだ。そういう妄想がお金になるんだから心底幸せな職業に就けたなぁと思う。
◆妄想から夢の話になってしまうけど、よく見る夢が三パターンあった。ひとつは、大きな屋敷を縦横無尽に誰かと走り回る夢だ。その屋敷はたとえるとお城とお寺と旅館を足したようなとにかく和風のとんでもない広さの建物で、そこの廊下や部屋をひたすら走っていく夢。走り回る目的は人捜しだったり単なる遊びだったりいろんなパターンがあるけど、とにかく走り回る。割りと子供時代の姿が多い。あとの二つは、まぁそのうちにまた。その三つとも、最近はまったく見なくなった。たぶん、デビューした頃から頻度が減っていったような気がする。幼い頃に、よく飛ぶ夢を見て、大人になるにつれて見なくなったけどそんなようなものなんだろうか。夢は不思議だ。
◆写真は玉置浩二さんのカバーアルバム『群像の星』。玉置さんは本当に素晴らしい、凄いボーカリストなんだというのがよくわかるアルバム。
◆カラオケが上手いだけじゃ、凄いボーカリストにはなれない。下手でも凄いボーカリストはいる。ただ上手いだけのミュージシャンなんてごろごろいるし、それだけじゃどうにもならないんだ。
◆どうしたら表現者として生き残っていけるかなんて誰にもわからない。ゴールはない。コースもない。ただ、走り続けるだけ。

12月14日(日) 日々
◆晴れたり雪が降ったり。standbymefukikae
◆庭の桜の木の下に餌台を置いたのは去年のことなんだけど、今ではスズメたちが毎日群がっている。雪のない時期は多くても10羽ぐらいだったんだけど、餌がなくなってきた最近では50羽はあたりまえで多いときは100羽ぐらいはいるんじゃないかというぐらい。もう桜にスズメが成ってる状態。そしてスズメたちって案外乱暴でヽ( ´ー`)ノ、餌台の場所取りでものすごい争いが毎日巻き起こっている。突き飛ばすんだぜ、足で。そしてやかましい。くず米をあげているんだけど、近頃は一日四合も消費するんだ。まぁ当分の間は犬も猫も飼わないので、スズメたちを愛でてなごんでいる。そういえば去年はいつも来ていたヒヨドリが来ない。あまりのスズメの多さにビビっているのか。
◆写真は『吹替洋画劇場 コロンビア映画90周年記念『スタンド・バイ・ミー』デラックスエディション』。名作『スタンド・バイ・ミー』にテレビ放映時の吹き替え版がついたもの。マイベスト3に入るこの映画は本当に何度も観ている。何回観たか覚えてないぐらいに。子供時代から仲の良かった友人で、今も付き合いのある奴が数人いる。この映画と同じような感じで、皆でテントを担いで汽車やバスを乗り継いで海まで行ってキャンプをした。今も覚えているぐらいの馬鹿騒ぎをした。卒業してからの数十年間の間、お互いの人生にどんなことがあったのか詳しくは知らないけれど、いつまでも変わらない友人だと思ってる。
◆実はずっと気になっていて、執筆にも影響していたある件が無事に良い方向で片づいた。ホッとしている。だからといって執筆が進むかどうかは別問題だが(^_^;)。
◆大体僕は小心者で、臆病で、ろくでなしだ。まぁ普段はそれを隠して生きているのだけど。いい男に、良き夫に、頼れる父になろうとはしたがいろいろ無理だった。その分、自分の作品でそういう男を描いているのかもしれない。

12月15日(月) 日々
◆晴れたり曇ったり。biuegiant3
◆相変わらず雪かき。この雪かきに使うエネルギーで何とかこのお腹の贅肉を取れないものかと考えているんだけど、雪国のおっさんおばさんは皆スリムかというとそうじゃないのでたぶん無理なんだろう。ただまぁカロリーを消費しているのは間違いない。
◆音楽が好きだ。音楽がない人生なんて考えられないしそもそももう53歳。13歳のときにフォークギターに出会ってからもう40年間ずっと音楽を友にして生きている。音楽にはいろんなジャンルがある。フォークソング、ロック、ジャズ、クラシック、ポピュラーなどなど。その中にも細かいジャンルの区切りがある。もちろん厳密なものではない。クラシックだってアレンジを変えればポップスになる。真剣に音楽に向き合えば、たとえミュージシャンになれなかった人間でも『これはいい』『これはダメだ』という距離を測れるようになる。一流と三流の違いなんかちょっと聴けばすぐにわかる。小説も実はそうなんだ。特に新人賞に応募されてくる原稿なんかは最初を読むだけで「これはダメだ」とすぐにわかる。イヤ最後まで読まないとわからんだろうという意見もあるだろうけど、実はそういうのは万に一つもない。もちろん「この作品はダメだけどひょっとしたらこの人は」というのもすぐにわかるのだ。プロと仕事をする人間とは、そういうものだ。そこまで辿り着けないとプロとしてはやっていけない。
◆写真はジャズに打ち込む若者ををテーマにした漫画石塚真一さんの『BLUE GIANT』。ジャズを主題に持ち込んだ漫画ってあまりないので、嬉しい。そしておもしろい。この作品はジャズのミュージシャンを目指す若者の物語だけど、実はその才能を見抜いていく人たちの物語でもある。才能を見つけるって、実は本当に嬉しくて楽しいんだ。一流にはなれなかったけど一流を見抜ける眼は持っていたんだと自分を確かめられる。
◆才能ある人間を育てるのは、実は、それを楽しむ聴衆や読者の人たち、素人の皆さんなんだ。それは音楽でも小説でもどんなジャンルでも同じ。いろんなものを楽しみ、目や耳を肥やして、自分が大好きになったアーティストはどんどん応援してほしい。

12月16日(火) 日々
◆雨が降ったり。goodnight
◆全国的に天気が悪くなるという。特に北海道はとんでもない嵐になるとか。外出はなるべくしない方がいいとのことです。むろん、そんなことがなくても僕はまったく外出していないヽ( ´ー`)ノ。冗談はともかく、吹雪に慣れてはいる道民ですが、明日明後日は大人しくしていましょう。どうしても外出しなきゃならないときは充分な装備を!
◆仕事で東京に行くことも多いけど、冬はなるべく行かないようにしてる。ただでさえ飛行機が嫌なのに、吹雪で欠航とか心配すると本当にストレスになるんだ。とにかく僕は心配性で小心者なので、約束に間に合わないっていうのがこの世で一番嫌なものかもしれない。なので、東京で何かあるときには必ず前乗りします。たとえ用事がその日の夜であっても前の日に入る。そうしないと心配でしょうがない。仕事も手に付かなくなる。できれば一生〈約束した外出〉はしたくないぐらいだ。そして見知らぬ場所で待ち合わせなら、その場所に30分前に着いて確認しないと気が済まない。いや本当に。これも医者に行ったら精神疾患の一種ですねって言われるかも。まぁだからと言って約束に遅刻した人を怒ったりはしませんから大丈夫です。その辺はめっちゃ鷹揚なんで。自分に厳しく他人に甘く。
◆写真はジョージ・クルーニーの映画『GOOD NIGHT,AND GOOD LUCK』。あらすじはこうだ。〈1950年代アメリカ。マッカーシー上院議員による"赤狩り"が数千人に及ぶ国民から職を奪い、恐怖が全米を覆っていた。報復を恐れるマスコミが批判を控える中、議員の真の姿を報じ、アメリカに自由を取り戻したのは、一人のニュースキャスターと、彼と共に闘った記者たちだった。大手テレビ局CBSの人気キャスターでありながら、自らの人生を危険に晒してまでも不当な権力と闘い、「テレビ・ジャーナリズムの父」と今も讃えられるエド・マローの実話に基づく物語〉。もし、僕の眼の黒い内に、政府が若者や子供を死に追いやる様な事態になったのなら、僕は迷わず銃を取りその銃口を政府役人に向ける。なんならマシンガンのドラム全部そいつらに打ち込んでやる。あ、もちろん僕は小説家なんでこれは高度に文学的な比喩ですから。ええもう本当に。政治家の皆さんには一生わからないぐらい高度な文学的比喩。もちろん作家崩れの政治家にもヽ( ´ー`)ノ

12月17日(水) 日々
◆穏やかな日。coyoteny
◆かなりひどい被害も出ている爆弾低気圧だけど、我が家近辺はごく普通の一日。学校なんかも休みだったようだけど雪さえ降らない良い天気。何でもちょうど台風の目の様な位置に札幌近郊はあったとか。まぁ何にもなけりゃそれで良しだ。ただ今夜からも引き続き警戒が必要とのこと。ひどいことにならないのを祈るのみ。
◆最悪のことを想定して、災害時キットなんかは買ってある。もちろん冬用のものだ。ただこれも数年前に買ったきり一度も点検とかしていないので、そろそろやっておかなきゃなぁと思う。いざというときに使えなかったら最悪だからね。
文藝春秋さん〈別冊文藝春秋〉での連載『踊り子と探偵とパリを』が最終回を迎えた。単行本は来年の春か夏にでも出せたらいいなぁと思っています。この物語、タイトル通り1920〜30年代の〈パリ〉が舞台なんですよ。で、書き始めたのはいいものの、書き進める度に「あぁ俺ってやっぱり根っからアメリカ・イギリスが染みついているんだ」と感じてしまった。僕は今53歳だけど、とにかく英米文化の洗礼を浴びて育ってきたのだ。それはファッションもライフスタイルも映画もテレビも音楽もそう。とにかく全てが中心はイギリスとアメリカだったんだ。フランスもなかったわけじゃない。フレンチポップスは好きだったし、フランス映画もヌーベルバーグを始めとして観てはいた。ただ、やっぱりちょっとしたニュアンスのところでイギリス・アメリカの香りが出てしまう。書きながら「あぁ違うフランスではこんなこと言わないだろう」とか、「しまったパリにはこんな文化はないだろう」と、書き直したことが何度もあった。ニューヨークやロンドンが舞台だったらそんなに迷わずにすらすら書けるのに、立ち止まっては文献や資料を確認して、とにかく〈古きパリの匂い〉を何とか醸し出そうとして苦労した。単行本になったときに皆さんに楽しんでもらえたらいいなぁと思っています。ところでお気づきの方もいるかと思いますが、〈文藝春秋〉さんからの本は全部〈日本ではない国〉が舞台なんですよ。
◆写真は大好きな雑誌〈coyote〉。今回はニューヨーク特集。ニューヨークは憧れの街だった。

12月18日(木) 日々
◆晴れ。穏やかな日。brutusdokusyo
◆僕が読書好きになったのは小学校の頃で、学校の図書室の本を読み尽くす勢いだった。拙著『夏のジオラマ』(集英社みらい文庫)には、小学生ぐらいの読者に向けた〈あとがき〉を書いた。あの頃の自分に将来作家になるよ、と教えたらどんなに驚くだろう。その〈あとがき〉を再掲してみる。
◆僕は今〈小説家〉という仕事をしています。〈物語〉を自分で考えて書いて、本にして皆さんに読んでもらう。それが仕事です。ちょっと、変わった仕事です。誰でもできるというわけでもないですし、なろうと思ってなれるものでもありません。でも、楽しそうな仕事だなぁと思う人はいるでしょうか。この本を読んでくれたのだから、読書が好きなのでしょうか。僕も、読書が大好きな子供でした。初めて読んだ本は今でも覚えています。きっと皆さんの学校の図書室にもあると思いますけど、江戸川乱歩という人が書いた〈少年探偵シリーズ〉というものの一冊『青銅の魔人』という本でした。小林くんという名前の少年が、明智小五郎という名探偵の助手になって、世の中を騒がす怪盗〈怪人二十面相〉を掴まえるために活躍する物語です。本当に大好きになって、たくさんあるそのシリーズを全部読みました。その頃に買ってもらったシリーズは、四十年経った今でも僕の本棚にあります。もちろん、その他にもたくさんの本を読みました。学校の図書室にあったおもしろそうな本をほとんど読んだような気がします。だからといって、家で本を読んでばっかりいたわけじゃなくて、野球も大好きな子供でした。友達と一緒に自転車に乗って近くの川で釣りをしたり、いろんなことをして外で遊んでもいました。小説家になれたのは、そうやって子供の頃にたくさん遊んだおかげだと思っています。もちろん、学校での勉強は大切ですけど、それ以上に、友達とたくさん遊んだことが僕の栄養になっています。ちょっとわかりづらい表現になってしまうけど、友達と遊んだこととたくさん小説を読んだことが、しっかりと結びついて僕の中に残っているのです。それがそのまま、今、〈物語〉を書くエンジンになっているのです。小説だけではありません。映画やマンガやテレビドラマもそうです。小さい頃に観たり読んだりしたすべての物語が、今も僕の中に残っています。もし、あなたが小説が大好きでこの本を手に取って読んでくれたのなら、これからもどんどん読んでください。小説だけではなく、映画やマンガもそうです。大好きなものをたくさん増やしてください。それは、あなたが大きくなって一人で暮らし始めるようになってからもずっとずっと一緒にいて、あなたを元気づけたり応援したりしてくれます。本当です。今現在、あなたのお父さん(ひょっとしたらおじいちゃん)ぐらいの年になっている僕が言うのだから間違いありません。〈物語〉は、そういう力を持っています。つらかったり悲しかったり苦しかったりしたときに、誰も回りにいなかったとしても、あなたが大好きになった物語はいつもあなたと一緒にいて、勇気づけてくれます。僕が、そうでした。だから、僕は今、物語を書いています。物語を好きになってくれた誰かの一生の友達になれるようなものを書きたいと思っています。またどこかで会えたら、いいですね。
◆読書は、いい。物語をもっと読もう。たくさん読もう。

12月19日(金) 日々
◆晴れたり曇ったり。穏やかな日。kakukaku
◆とにかくストレッチはするようにしている。そして雪が積もった今はランニングは辛いし(凍ってて危ないし)エアロバイクは少し飽きたので歩くようにしている。そう、雪道を一時間ほど歩く。何せ田舎なので何もない。住宅と田圃しかしない。でもかえってそれがいい。誘惑がないのでただひたすら一生懸命歩く。それで何とか運動不足を解消している。
◆小説の書き方は誰かに習ったわけではない。文章の書き方も習っていない。最初に商売で文章を書いたのは広告制作会社に入った24歳のときで、いきなり紹介記事を書かされた。それでも、書けた。いきなり書けた。まぁ中学の頃から作詞はやっていたので文章を書くこと自体は何の抵抗もなかったのだが、それでもいきなり紹介記事とかを書けた。そして上司から「OK。上手いじゃん」と言われた。思えばそれが勘違いの始まりだったのかもしれない。「そうか、俺は文章が上手いんだ」と思ってしまった。それから誰にも文句を言われることも指導を受けることもなく広告制作で文章を書き散らかして、30歳のときに「作家になろう」と決めて、初めて小説を書いた。そうしたら、書けた。悩んだかどうか今となっては覚えていないんだけどとにかく書けたのだ。物語を最初から最後まで誰にも相談せずに。まぁたぶん今読んだら赤面してコンマ何秒で破り捨てたくなるだろうけど(実際何を書いたか覚えてないんだよね。データもリコーのワープロのフロッピーの頃だから残ってないし)。それから新人賞の最終選考に残ったり最終的にメフィスト賞を受賞するまで、結局誰にも〈小説の書き方〉を教わらなかった。
◆ちょっとだけ、後悔してる。誰かに教わりたかったな、と。ここはこういう風にした方がいいんだよ、と言われて「そうか!」と、納得したかったと思ってる。
◆写真は東村アキコさんの『かくかくしかじか』。高校時代から絵を描き漫画家になっていくまでの自伝的漫画。ここに描かれる東村さんの煩悩と苦悩と思いが、すごくよくわかる。そして、先生がいた東村さんがうらやましい。僕はこの漫画で東村さんを漫画を初めてじっくり読んだのだけど、その創作の仕方にものすごく共感する。小説家と漫画家は同じ物語を作る人間でもプロセスはまるで違うけれど、たぶん同じタイプの人だと思ってる(勝手にだけど)。

12月20日(土) 日々
◆曇ったり雨が降ったり。気温の高い穏やかな日。daihakubutu
◆あまり気温が高くなっても道路の雪が融けてそして夜中に凍ったりするので勘弁してほしいなぁと思う。冬になったのなら春まで冬のままの方がいいのだ。
◆次男がコンタクトにしたいと言い出した。まぁ大分前から剣道をやっている都合上コンタクトの方が便利だったのだ(面をつけるからね)。結局もう高校剣道も引退という頃になってから作った。今頃自分の部屋で慣れないコンタクトを付けて悦に入っているのだろう。僕も高校時代からずっと眼鏡男子(おじさん)だったのだが、今までコンタクトにしたことがない。まぁ老眼も入ってきてる今となっては作る気はないし、〈東日本一眼鏡が似合う作家〉を自称しているのでこのままでいい。何よりも僕は強面なのを黒縁の眼鏡でごまかしている。眼鏡がないとマジで子供が泣く。
◆たぶん、活字中毒者は皆〈図鑑〉が好きだ。図鑑が嫌いな活字中毒者など存在しないと断言しよう。お金があるのならこの世の図鑑という図鑑を全部揃えたいぐらいだ。写真の荒俣宏さん『新装版 世界大博物図鑑』(平凡社)もずっと欲しかったものだ。この図鑑が出たのはかれこれ二十数年前、僕が二十七歳ぐらいの頃で、広告制作の仕事をしていた。仕事の資料としても個人的にも全部揃えたかったのだが、いかんせん値段が高い(もちろん図鑑の値段が高いのはあたりまえだ。それだけの価値があるのだ)。僕は結婚とか出産とか人生の大イベントが次々にやってきて、自由に出来るお金がなかった。なので、結局その頃には一冊しか買えなかった。その後の僕の人生はさして裕福でもなかった。正直貧乏だった。ましてや作家を目指してからは一家四人爪に火を灯す生活をしていて、欲しい本も滅多に買えず図書館通いだ。この図鑑もずっとずっと買えず仕舞いだった。そうして、ここに来て〈新装版〉として再発されたのだ。今なら、全巻買える。そして買ってしまった。
◆あの頃、〈好きな本と好きなアルバムをいつでも買える生活がしたい〉と思っていた。それが唯一の望みだった。二十数年経って、今はなんとかそういう贅沢ができる。貧乏していた頃はそんな日が来るなんて夢のまた夢だったけれど、いつかは、という思いはずっとあった。どんなに苦しくても、辛くても、生きていればいつかなんとかなるかもしれない。人間、そういう希望はずっと抱いているべきだと思う。

12月22日(月) 日々
◆曇ったり雪が降ったり。cesare
◆またしばらく荒れるとか。まぁ冬の天気が荒れるのは毎年のことなので何とも思わないのだが、できれば穏やかな方がいい。できれば雪かきはしたくない。ちょっと前に札幌と江別に住む作家さん、桜木紫乃さん、乾ルカさん、北大路公子さんと僕の四人で座談会をしたけれど、「雪かきさえなけりゃ北海道に住むのは最高だ」という結論に達している。っていうかそれはもう真理だ。春の芽吹きの素晴らしさ、夏のカラッとした空気の素晴らしさ、秋の紅葉の素晴らしさ、冬の銀世界の素晴らしさ(家の中は暖いんだから外は寒くてもいいのだ)。そして食べ物はすべてが美味しい。土地は広い。つまらないしがらみもない。こんなに住むのに良いところはない。雪かきさえなければ。雪かきさえなければ。大事なことなので二回言いました。それから冬の北海道においてはたとえ親が死にそうだと連絡が入っても最優先は雪かきですので(だって雪かきしないと車だって出せないんだからね)(しかも経験済み)。
◆傑作というのはこの世に沢山ある。もちろんマンガにだってある。写真の惣領冬美さん『チェーザレ 破壊の創造者』(講談社)もそのひとつだと思う。史実にのっとった漫画を描こうと思えば当然のようにその資料は膨大なものになるだろう。物語の嘘は許容されても、描かれるものに嘘は許されない(もちろん想像の翼をはためかせて描くしかないものもあるだろうけど)。こういうマンガは、遺されるべきものだと素直に思う。
◆年賀状を書かなきゃならないけれどいつもこの時期はいっぱいいっぱいなので宛名書きを全部妻にお願いしている。申し訳なく思う。まぁパソコンでやればいいんだろうけど毎年何となく手書きだ。きっと次の年もそうだ。
◆相変わらず怒りたくなるようなニュースが多い。まぁそういうものしかニュースにはならないのだけど。耳を貸さずにひたすら原稿を書く日々。

12月31日(水) よいお年を。
◆雪が降ったり。lifeisb
◆まだ原稿が上がっていない。今年締切りのものが上がっていない。とんでもない話だ。お前は毎年何をやっているんだと自分を殴りたいぐらいだ。でも殴ってしまうと原稿が書けないので、今もひたすら紅白も観ないで書いている。担当編集さん本当に申し訳ない。
◆もちろん、さぼっているわけではない。自分の許容範囲を見誤ったのだろうか。それとも年々パワーが落ちてきているのかな、とも思う。来年は少しいろいろ考えてみようと思うけれど、考える間もなく締切りがどんどんやってくる。
◆ありがたいことだ。毎年この日の日記に書いているけれど、信じられないぐらいの締切りを抱えながら今年も終わる。今年も家族の米の心配をしないで一年過ごせた。たぶん来年も米は大丈夫だ。本当にありがたい。こんな売れない作家でも、何かを期待して編集さんは仕事を与えてくれる。何とかしてその期待に応えようとは思って書いているんだけど、なかなか恩返しができないでいる。申し訳ないといつも思うんだ。
◆作家になってから謝ってばかりだ。胸張って「どうですか!」と言いたいのだけど、そういう日は訪れないような気もする(^_^;)。
◆担当編集さん、書店さん、そして読者の皆さん。その人たちに生かされている。その人たちに何かを感じてもらえるような作品を書き続けないと、いや、書けなくなったとき小路幸也という作家は終わる。そしていつかその日は来るのかもしれない。その日まで、書き続けます。
◆良いお年を。この言葉が大好きだ。誰もがすぐやってくる未来への希望を僅かでも胸に抱えて、お互いに頑張りましょうと言い合うような言葉。
◆良いお年を!